第49章 好きになったもの。後編…中原中也誕生日 4月29日記念
「わたしの起因性異能力は、呼んで字の如く……だ。
異能力を発動し、死亡したという結果のつじつまを合わせるために"殺戮を行った"という過程が後から付いてくる。」
つまり順番が違うのだと真冬は言う。
エートス、つまり人道的理念。
これこそはあの花畑の彼、三島に無いものだろう。
あの彼には三冠たる理念、理解、理性のうち理念というものが欠けている。
そこに己以外の、ほかの人間が関わってくるから。
理念と理解の違いは何か、推し量るということをするのが理念だ。
「わたしとて人を殺めるのが恐ろしくない訳がない……
けれど、返り血や怨嗟をあびることを厭うような臆病者でもなかった」
その小さな手は一体何を数えていたのだろう。
今まで葬ってきた人の数か。
三島はたいがい真冬を甘やかすけれど、そして真冬もそうなのだが、
結果が視えたり因果を決められるひとというのは
異能力者の中でも一線を画している。
未来視の方はいつだったか、この二人のどちらかが言っていたように
『幾秒後の未来』ではなく『幾秒後の結果』を視ているに過ぎないのだが……
転じて人道認識とは、近い未来をある程度
操れたり差し押さえたり視えたりする者には理解不能なのかもしれない。
倫理的な正しさを感じる心がないのだから。
「ひとの子が生まれたときに泣きじゃくるのは––––」
「あァ、それなら知ってる」
中也が執務室の扉を開けて電気を点けた。
ちなみに太宰は二人の尻拭い……
をするはずもなく、十中八九外にいる小さい友達をからかいに出向いたのだろう。
「愚者だらけの舞台に上がってきたことを察するから、だろ」
「……仮にだ、わたしが生まれてくるときに異能力を使ったか誤発でもしたとしよう。
さて、わたしはどうなる?」