第44章 泡沫の花 前編…与謝野晶子誕生日12月7日記念
指先に留まる蝶々。
不自然に紅い色をした、幻想的な光で編まれた蝶々がつんつんと指先から発色し、爪紅のように爪を彩った。
「この花はね、昔から女性の爪先を飾ってきた植物なんだよ」
手に取った赤い花を振り撒けば、さらさらと夢の粒子に溶け消える花びら。
熱く、赤く、鮮やかに発色する。
「君の本業は医者だからね。
否、だからこそ手先の手入れを疎かにしてはいけないと何度––––」
花を身の回りに纏わせながら、
ミルクティー色の柔らかな髪が偽物の太陽に照らされている。
妾(あたし)は由紀の小言を笑って聞き流しながら、そのいたわるような、丁寧な指先の扱いに感心していた。
「なんだか、眠っているッて感じしないねェ」
「引っ張り込んだのは僕だ。存分に休んでいってほしい。」
たしかにここは肉体の疲れなんて知ったこっちゃない場所だけれど、言ってしまえばその人個人の『精神性の拠り所』。
それを毎日維持して壊れないように、わずかなほつれさえも即時修復するという、夢の中だというのに気の抜けない由紀も大概だ。
ひとつのほころびを塞いでも、また孔は意識外で開いてゆく。
それをたった一人ですべて繕わないといけないのだから。
まるで霧雨のような、淡い虹色の粒子が天から降り注ぐ。
「出来た。
全く、僕の夢なら『僕は』好き勝手し放題だからね。」
赤く色付いた爪先に、色素を無くした光の糸の蝶々が留まる。
由紀の深海のような瞳が、理性的に細められた。
「……そうだ。君に、聞きたいことがあったんだ」
「ン?珍しいねェ。
妾に答えられそうことなら、何なりと」
おどけて返した妾は、由紀に向き直った。
「こんなところで、夢のない話なんだけどね……」
そして、由紀が話し出したことを頭の中で反芻させる。
話とは、こうだ。
––––陸地の見えない大海原に、二隻の船がある。
途中二隻が立ち寄った島で、流行り病を持ち帰ってきた乗組員がいた。
二隻中、一隻には100人が乗っていた。
もう一隻にはたった一人が乗っていた。
100人はすでに瀕死状態である。
一人は軽度の病状で済んでいる。
船同士をつなぐことは出来ない。
「君なら、どちらを助ける?嗚呼、ただ……」
由紀が言った。
「一隻助けたら、もう片方は沈むとする」