第37章 天の花嫁
【––––––……!】
高い遠吠えが、夜中のヨコハマを震わせた。
雑居ビルの林立する市街地を、
まるで故郷の草原のように颯爽と駆る巨躯の獣。
青みがかる獣の瞳は、下品な色を醸し出す眼下のネオンを睥睨する。
嗚呼、卑しい。
なんて醜いのだ。
こんなにも汚らしい。
人は永遠に太陽に浄化されることはない。
嗚呼、なんて憐れな生き物なのだ。
奸計も裏切りも、己は沢山味わされて来た。
最早人間などという生物は、視認するもおぞましい。
悔恨。憎悪。執念。何より、圧倒的憎悪。
憎い憎い憎い憎い憎憎憎––––!
「どうしましたか」
突然掛かったその声に、巨獣はフンと鼻を鳴らした。
見遣れば一人の女が立っている。
獣たる己に興味なさそうに、同じ景色を何も感情の灯らない双眸で見つめていた。
【Guuu–––uu……】
「汚らしいですか、この景色が」
喉を鳴らすなどという行為には程遠く、巨獣は己の横に立つ女に向かって吼え立てた。
そうだ、人間などという下等極まりない分際で、いつかあの月を喰ろうた己を喚んだ。
【Wo––oooo–––……uuuu…N】
月に食い付いた己は、空を見上げた。
––––"その月が欠けた時、死者は腹わたを撒き散らし
その血は天と空から光を奪い盗るだろう。"……
「行きますよ」
【––––––……】
気付けば己は、背の高い建物に囲まれた小さな島国にいた。
鉄の動物が草木のない地べたを這いずり回り、己の速さには敵わないものの行儀よく並ぶ様といったら、あれほど滑稽なものはない。
獣が他の何かによって待たされるなどという動作が面白くて仕方なかった。
気付けば己は、一人の人間の女を背に乗せていた。
不愉快極まりないけれど、害悪ではなさそうだったので放っておく。
この女は、なかなか渡り合える腕を持っていた。
見たこともない武器に、鎖が付いている。
己を御するには脅威のへったくれもない代物だが、己のこの咬合力をもってしても折れなかったので、放っておく。
この女は、己のことを【獣の奏者】と呼んでいた。