第35章 荘厳は淑やかに
「……え?乱歩?」
私に陶器のように白い背中を向けた真冬が首だけ振り向いた。
黒髪が肩口からこぼれ落ちる。
その時もまた、ふわりと香る匂い。
「うん……矢ッ張り。
これ、乱歩さんの匂いだよ」
「あー……えっと……」
真冬の苦笑めいたものが、
今の私にはまるで焦っているかのような笑みに見えてしまって。
何かを言いかけた彼女の肩を掴み、抱き寄せるだなんて言葉に似合わず、強めに掻き抱いた。
「今のある……っちょ…っ!やめ、」
腕の中に必然的に舞い込んで来た真冬の背中に吸い付く。
人から見られるような場所につけなかった事に関しては、その時の私にとっては些末な事にみえた。
「治……!」
「……思ったより綺麗に付いた……けど、付けるなら風呂上りにした方が良かったかも。
そうしたらもっと綺麗に付くのに。
ねぇ?もっと濃く…はっきりとさぁ……」
指先で私の付けた印あたりをなぞり、首筋を伝わせる。
一瞬だけ真冬が私を押し返したけど、抵抗する理由がないからすぐに大人しくなった。
私はその事に口角を上げる。
「そんな目で見たって怖くないよ?
異能云々以前に凶器がないからね。
即死判定は発動しない……し……?」
目の前にあるのは簪だった。
綺麗な、金色の月の光みたいな輝きを放つ鈴の。
あの時の音は……もしかして
「妾は女以前にひとりの暗殺者故なぁ?」
くすくすとからかう笑みに敵意はない。
反りのない真っ直ぐで簪にしては長めの合口。
鍔のない、柄と鞘がぴったり合う短刀。
かさばらない故に懐に忍ばせるのに適任のこの刃物は、こういう界隈ではドスだなんて愛称がある、と言えば判るかも。
「……ま、元だけれど」
「……今はもう……暗殺者としては、依頼受けていないのかい?」
ぎゅっと真冬の肌の温度を直接抱きしめていたら
何の連絡もなかったこの二年間が、とても味気なかったものに思えた。
「ん?……嗚呼…先ほど治に遮られた続きさね」
「ごめんごめん」
真冬の髪の匂いがする。
肌からも同じ匂い。
服も、全て乱歩さんの匂い。
どういう事なんだい?だなんて聞いたら
自分が大ダメージ食らいそうなことくらい想像ついた。