第34章 甘くて苦いもの
「……乱歩、真冬、いるか」
「……ん、社長?」
「あるじ殿」
探偵社から福沢邸へと足を運んだ社長が、
開放された和室で彼女に寄り添い 昼寝をしていた乱歩と、その頬をなでる真冬を見つけた。
低木に彩られた庭先が真っ先に飛び込んでくる。
真っ白い人影と探偵装束の人影が、こちらを見た。
薄暗い和室で浮き彫りになる白みに近寄る。
「社長どうしたの〜?」
「先ほど、幽霊が出た……という依頼を国木田が受けて、出発した。
有休中のお前たちにも伝えるだけはしておかねばと思ってな」
正座をする真冬、その膝に寝転がる乱歩のそばに流麗な流れで社長も座す。
正座の仕方は弓と刀をやる者のやり方だ。
「幽霊とは……否、しかし独歩は」
「あー……ははっ、そういやそうだよねぇ。
どうする真冬?」
ふと乱歩の翠玉が、真冬を見つめる。
行くか行かないか。
そんなものは聞かなくても判る。
「……だがその前に、真冬」
「……? どうしたのさね。
嗚呼、わざわざここまで足を運んだことには理由がない訳がないさなぁ」
くすくすと笑う真冬、彼女に虚言は通じ得ない。
その黒曜石がすっと細められる。
「僕席外した方が良さげかな?」
「否、居てくれて構わない。
……真冬、先日の言葉を覚えているか」
社長の言葉に真冬は微笑みを湛えたままの様子で、思い出す。
先日の言葉……先日の言葉。
「先日の言葉とは、沢山あるが……
嗚呼、あるじ殿にそのような顔をさせる言葉といえば一つしか思い当たらない。ふふ」
笑っておいて、真冬はふと考えていた。
社長の水銀色の双眸は、こちらを見つめたままだ。
誤魔化せない方、か。
ふうと真冬が肩をすくめて息を吐いた。
「嗚呼。
真冬、この名には足りないものがあるな。
苗字だ」