第31章 お花畑で会いましょう…谷崎潤一郎誕生日7月24日記念
「……嗚呼、拾って頂いてありがとうございます」
「……! あ、いえ……」
しわの一つないハンカチを、目の前の彼女に手渡した。
何だろう。
頭の中で、さっきから警鐘じみた音が鳴り響いている。
見るな、聞くな、判断するなと。
「……あの。顔色が優れていません。大丈夫ですか」
平坦な声とは裏腹に、差し出された手は恐る恐るといった調子だった。
その手にモザイクがかかる。
ノイズの入った声が耳を衝き、判別してはならないと悟る。
「……ボクたち、どこかで会いましたか?」
「 ––––––。」
嗚呼、何を言っているのだろう。
初対面の女性に向かって、不躾なことを……
「あの?」
でも、なかなか返ってこない返答に、ついその顔を見た。
そして、え、と声を漏らしてしまった。
黒曜石のような双眸が、あり得ないものを見たように見開かれている。
感情を露わにする事のないその顔は、
まるで一方的に知る友人を見たかのような顔。
(する事のない……?
なんでだろ……なんでボク、そんな事知って……)
「済みません」
唇をわずかに噛んだみたいに、彼女の瞳が伏せられた。
ゆらりと揺れる瞳孔に、もう驚きも期待もない。
「たぶん、いえ、これが初対面です。不躾に見てしまって済みません」
「えっ、あいや、こちらこそ……!
その、なんか……昔、似た人に会ったみたいです」
立ち上がったボクは手をぶんぶんと横に振った。
「そうですか」
笑った彼女の顔に、矢張り見覚えがあるような気がした。
モザイクの掛かるその全貌は、
きっとボクじゃない他の誰かによる認識阻害なのだろう。
「……花」
「え?」
「ハンカチのお礼です。
ちょうどなでしこを買ったので、どうぞ」
ノイズの声でそう言うが早いか、ボクに花が差し出された。