第18章 色彩
「……君が最後に、キスのひとつでもされたいって思っていたのは判っていたよ。
だって、」
僕だから。
人のそういう機微に聡い僕が、人の欲に気づける異能を得た。
「……だけれど、僕がそうしなかったのは
君が一番よく知っているはずだ。
君が口の中に劇薬の錠剤を仕込んでいたこと、気付かないと思っていたのかい?」
夢の中で少しずつ、じわじわと英気と養分を吸い取られてゆく
眠りについた娘の呼吸がだんだんと浅くなっていく。
この夢が、君の一番最後に見る夢。
どこかの悪い夢魔に魅せられた君の末路だよ。
「苦しいかい?憎いかい?つらいかい?
……ごめんよ、僕にはそれは理解出来るのかもだけれど……
その深さというヤツが、程度というモノが判らない。
全く以って、全然理解が出来ない未知のものなんだ」
痛いものじゃないから、すっと息を引き取るだけで、君はいなくなる。
君の望んだ死は、これであっていたかい?
君の眠りを誘う話でもしようかな。
君が、僕の夢の中で、これを聞いていられるように。
「人が、例えば子供が泣いていたとしよう。
子供が泣いていたら、声を掛けない大人は……特に女性はいないだろうね。
これはね、倫理観の問題なんだ」
三島の紺色の瞳は光を得ていない。
何を思っていて、
何を考えていて、
何を伝えたいのかが全く判らない瞳。
「痛いから泣く。
それはなぜか。その子供は転んだから。
僕は、それが判らないんだ。
痛いから泣くのは判るよ、でも––––
どうして痛みで泣くのかが判らないんだ。
矛盾しているだろう?
一般論を述べただけだけどね……」
悲しいから泣く。
なら、なぜ悲しいから泣くの?
そういう事だ。
「……本当……人間って、複雑で……
感情を発露させてみただけの僕では
到底、擬態できないものだね……」
弱々しく吐かれた三島の本音は、苦悶は、苦難は、
三島のいう"人間"には判り得ない、それこそ未知のもの。
それは三島由紀夫にとって激痛にも相当する。
「……こんな僕が、人間の女性を幸せに出来るわけないじゃないか……
太宰……」