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日章旗のデューズオフ

第17章 【拾肆】宇髄(鬼滅/最強最弱な隊士)



槇寿郎様が罰悪そうに頚筋を摩りながら廊下を進む度、悲鳴嶼がその後を追随する度に、年季の入った縁甲板から微かな塩素の匂いが立ち昇ってくる事に気が付いた。鼻根を研ぎ澄ませれば、有りと凡ゆる躯体と建具からも香境を得た。
薬品を使って奥方様の周辺を清潔に保とうとする槇寿郎様の必死さが反映された、辿り着くべくして辿り着いた帰結の状態。数多の鬼を屠った辣腕が、今は愛する妻の為に雑巾を絞り、其処彼処を拭き上げ、衛生の保持に使われているのだ。
忍び寄る死を跳ね除けようと最後の最後まで足掻き続ける強靭な精神性、奥方様への一途な愛情。それに対して素直に感銘を受けていれば良いものを、この時の俺は何故か、掛け違えた釦を目の前にしたような歯痒さを覚えてしまった。
剣士として比類無き実力者であられる槇寿郎様であっても、生老病死の四苦と云われる『付き纏い続ける根源的な苦しみ』の前では、刀に換わって雑巾を握る事でしか抗えないのか、と。
──死なない努力を欠かさないこと。お館様と交わした約束が脳裏を過ぎる。無意識の希死念慮に脅かされていた俺の肩から勝ち過ぎた荷を降ろそうと御方が結んで下さった誓約の一端だが、どうして今これを引き合いに出したのだろう。
「悲鳴嶼、この中だ」
「御意」
「君はここで待ちなさい」
──遥か彼岸より鳴り響いたかのような梵鐘の音と共に、威圧感の有る聲が鼓膜を震わせた瞬間、膚が泡立ち、名状し難い恐慌が脳髄へ絡み付いた。生存本能を刺激する恐怖が、八重葎の如く這い上がって締め付けるのである。
声の質のせい……否、元々の声音に独特の険がある方なのは理解していたのだから関係ない。幼少時代の環境上、他者から威圧されて萎縮するような性格では無い自負も有る。
前線に出る悲鳴嶼から浴びるほど受けてきた待機命令を今更恐れる謂れもない。弁えた立場だ、俺程度が奥方様と顔を合わせられるとも思っていない。実際に今日も荷物持ちで悲鳴嶼に追従した身だった。

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