第5章 小さき影の過去
『その後は豊久様が朝鮮へ行かれる時に
再会し、以降戦場を駆けて参りました。』
一通り過去を晒した野風はふっと息を
ついた。
「なるほどのお・・・お主も酷な人生よの・・・」
『いえ、姉様のお陰で今まで城に籠って書物
を読んだり反物を一日中眺めていたりしてい
た時よりも、今の男として豊久様と共に戦場
を駆けている方が楽しいですから・・・』
そう言って野風は微笑んだ。
その微笑みに信長は息を飲んだ。月夜の儚い
光に照らされた微笑みと、ささやかな風に
なびく濡羽色の髪はまさに天女の如きそれで
あった。信長は暫く言葉を発することが出来
ないでいた。そんな信長に野風は首を
傾げる。『信長様?如何されましたか?』
野風の声にはっと我に返った信長は
慌てて言葉を紡いだ。
「お、おお。なんでもない。ありがとよ、
話してくれて。何かあれば遠慮なくわしに
言うが良い。」そして信長は野風の頭を
優しく撫でた。それは慈愛に満ちた父親の
手を思い出させるものであった。それを
野風も素直に口にする。
『信長様にこうして撫でてもらうと、何だか
父上を思い出します。やんちゃな私をよく
撫でてくださいましたから・・・』
その声に信長もまた目を細めて笑う。
「そうかそうか・・・わしもお主を
見ると娘達を思い出すわい。」
『信長様。どうか私が女子(おなご)だとしても
戦場に居させてください。私もお役に立ちます
ゆえ!どうか!豊久様のお側に・・・』
野風の声は最初こそ大きかったものの、
段々と自信なさげなものになっていった。
信長は野風を元気づけるように力強い
声色で言った。「安心せい、先程のお主の
過去を聞いたのじゃ。誰もお主を豊久から
離さぬわ。やりたい事をすれば良い。」
“やりたい事をすれば良い”
それは野風の父、島津忠長が口癖の
様に言っていた言葉であった。野風は
またも信長に父親と重なるところを見て
笑った。『やりたい事をやれ。よく父上に
言われました。お言葉に甘えて、
そうさせて頂います。』
「おう。好きにせい。好きに生きよ。」
信長もまた笑った。笑う二人を月光が優しく
包み込んでいた。