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【HQ】片翼白鷺物語(カタヨクシラサギモノガタリ)

第2章 君のボールに恋してる


 初めてそのボールに触れたのは、小学生の時だった。軽量4号球、その青と黄色のコントラストの鮮やかさが幼い心を躍らせ、そして、触れた時のしっとりと指に吸い付くようなあの人工皮革の質感に、ぞわぞわと身震いするほど感動した記憶は今でも決して薄れはしない。

 朔弥はボールに恋しちゃったんだね、とは当時の級友の言葉だ。恋をする、なんて言葉にピンとはこなかったけれど、いつまでも触れていたいなと思っていたのは事実だったので、そうかこれが僕の初恋か、なんて神妙な顔をして頷いたものだ。
「――って、今考えたら何を言ってんだか、って感じなんだけどねぇ」
 キュッと乾いた布であの頃手にしたものより一回り大きなボールを磨きながら、不意に思い出した遠い記憶の自分に思わず独り言が出た。
 毎週金曜日の練習後。あの試合中の事故があった日から、周りと同じハードな練習メニューに参加することができなくなった朔弥が、リハビリと共に自主的に始めたボールのメンテナンスという習慣。何十球もあるボールを一つ一つ丁寧に磨き、その際触れた感覚で気になるものがあれば空気圧を計りつつ注入する。どちらかといえば面倒な作業に分類されるであろうこの作業だが、まあボールに恋しちゃってる俺なら喜んでって感じなんだけどな、とまた古い記憶に一人ふふっと笑みを零した。
 床にボールを弾ませて納得のいく状態になったそれを満足げに一撫でして、ふんわりとケージの中に放り入れる。次が最後の一球だ。朔弥はすとんと腰を下ろし、床に転がしていたそれに手を伸ばした。

「……まだいたのか」
「あ、若利。ロードワークは終わったの?」
「ああ」
「そっか、お疲れ」
 首からかけたタオルで汗を拭きながら近寄ってきた牛島を労いながら、ふと体育館の壁に掛けられた時計を見ると、ん? と朔弥は首を傾げた。
「珍しいね、今日は5キロコース?」
「いや、いつものコースだ」
 いつものコース、つまり10キロ。しかし時間は練習が終わってからまだ一時間も経っていない。
 練習後のクールダウンと片付けは部員全員でやることが鉄則なので、例えこの春主将となった彼も例に漏れず参加していたはずだ。
 ならば、実質走った時間は――と朔弥が頭の中で時計の針を回していると、すぐそばまで来ていた牛島が床に置いていたエアーゲージを拾い上げた。
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