第10章 香りは導く
その後、イゾウは誰にもあの晩の話をしなかった。
見も知らぬ女に欲情した事もさることながら、
曖昧な情報をもたらして、家族を混乱させ苦しめるのは憚られた。
いや、やはり、女の存在を秘したいだけだったのかもしれない。
そんなことを熟々と考えているイゾウの耳に、
『あぁっ?!』とマルコの不機嫌そうな声が聞こえてきた。
『すんません!!』と必死に謝るクルーに、イゾウは“またか”と呆れた。
最近入ったこの若いクルーは、気も腕も弱く、正直海賊には向かない。
その為、何だかんだと面倒見のいいマルコが率いる一番隊へ配属された新入りだった。
どうやら、今回は上陸した島の宴の手配を誤ったらしい。
「宴は今日の夜だって言っただろうが!」
「す、すんません、す、すぐ、頼んできます!!」
そう叫ぶと『待て!トシ!』と呼び止めるマルコを無視して走り去っていく。
思わず盛大に溜息をついたマルコに、
イゾウは“くつくつ”と笑った。
「笑い事じゃねぇよい」
「いやいや、大概お前さんも甘めぇな」
他のクルーなら拳が飛ぶ所だが、マルコは“トシ”にだけはどうしても、厳しく接することができなかった。
「うるせぇよい」
「まぁ、いいさ、まぁ、船は任しときな」
「!・・・ありがとよい」
暗に『どうせ助けに行くんだろう?』と言われれば、マルコはすぐにトシの後を追った。
その頃トシは、明日の宴の予約をした店主に土下座して頼み込んでいた。
だが、店主の対応は不可だけでは足らず、明日のキャンセル料を全額払えという横暴なものだった。
しかも、いつの間にか呼ばれてきたらしい用心棒だという男達が、トシを店の外へ蹴り飛ばした。
カッとなったトシが応戦するも全く相手にならず。
抜かれた白刃に、これから自分を襲うであろう痛みに覚悟を決めた。
“?”
しかし、痛みは来ず。
恐る恐る思わず閉じていた目を開ければ、トシの前に淡藤色の服を纏った小柄な女が立っていた。
女は舞うように拳を繰り出し、剣を振るい瞬く間に男達を倒した。
その優美な動作は、敬愛しているマルコ隊長と肩を並べるイゾウ隊長にも似ていて、だが、それよりも、柔らかい。