第20章 虹村修造
二度三度とチャイムを鳴らし、豪快に扉を開けて帰宅していた夫が、息子の誕生を機にひっそりと帰ってくるようになって早四年。
彼の帰りに気づくことが出来るのは、無言で灯る玄関のオートライトのおかげに他ならない。
「おかえりなさい」
「もう寝たか?」
時刻は夜の十時を過ぎたところ。四歳児がこの時間まで起きていることはほとんどない。たっぷり昼寝をしていれば別だが。
部屋を見渡し、姿が見えないことにあからさまにガッカリしながら、髪をかきあげる仕草は今日も無駄に艶っぽい。
「早かったね。二次会、行かなかったんだ」
「おう」
ただいまの声は後回し。まるで泥棒のように寝室にすべりこみ、ぐっすりと眠る息子を飽きることなく眺めるのは、もう日課になっていた。
暗くてハッキリとは見えないはずなのに「カワイイなぁ」を連呼する彼の方が何倍も可愛いと、からかったら何日も拗ねてしまったので、もう口にはしないけれど。
「軽く何か食べる?」
「いや、大丈夫だ。ありがとな」
名残り惜しそうに寝室を離れ、「ただいま」と労うように頭をなでてくれる彼──虹村修造と同じ姓を名乗るようになって秋で丸七年。
広めのリビングが気に入って購入した中古マンションで、忙しくもにぎやかな日々はこれからも過ぎていくのだろう。
「どーした?コレ」
部屋の隅で、風に揺れる笹の葉のことを言っているのはすぐに分かった。
大雑把なようで、ちょっとした変化も見逃さない繊細さには、今でも驚かされることが多い。
「幼稚園でもらったの。小ぶりだけど、今年から皆に配るようになったらしくて。帰りのバスの中は笹だらけで可笑しかったのよ」
「へぇ」
目を細め、色とりどりの短冊を眺める横顔が、懐かしげにほころぶ。
「何枚もぶら下がってっけど、欲張りすぎなんじゃねーの」
「夢がたくさんあっていいじゃない。私もまだ全部は見てないんだけど」
どれどれ、とネクタイを緩めながら我が子の願いを覗きこむ顔はすっかり父の顔。
ぱぱだいすき、と趣旨からずれた短冊は何枚目に見つけるのだろう。
「『にんじんがたべるように』って日本語間違えてんだろ。こっちは鏡文字になってるし、ったく誰に似たんだろーな」
私じゃないわよ、と対戦モードにギアチェンジしたのと、ピンクの短冊を手にした彼が小さくふき出したのは、ほぼ同時だった。