第10章 青峰大輝 *
「さてと。何飲もっかな」
複雑な乙女心を洗い流し、濡れた髪にタオルを巻きながら冷蔵庫の扉に手をかけた瞬間、静かな部屋に響きわたるチャイムの音に、結は小さく飛び上がった。
「こんな時間に……誰?」
何度も連打されるそれに、一瞬頭をかすめる可能性に首を振りながら、おそるおそるドアスコープに顔を近づけたその時。
「オイ、結!いねぇのか!」
「っ」
壁にかかる時計に目をやり、夜中の1時であることを冷静に判断しながら、日本にいるはずのない恋人の登場に、頭は軽いパニック状態だ。
(嘘。どうして……)
「まさか寝ちまったんじゃねーよな。ウソだろ」
それはこっちの台詞だ。
だが、鉄の扉越しでも胸を高鳴らせる唯一無二の声に、反射的に動く指が鍵をカシャンと鳴らす。
その瞬間を待ちかねていたように、勢いよく開かれるはずだった扉は、だが数センチという隙間を作ったところで、まだ外されていないチェーンによって無情にも遮られた。
「チッ、なんでチェーンなんかしてやがんだよ!はやく外せ!」
「なっ!いきなり押しかけて来て、その言い方はなんなのよ!か弱い女性の一人暮らしなんだから、チェーンかけるのは当たり前でしょ!」
あまりにも身勝手な物言いに、思わず言い返してしまう可愛げのない性格を直す薬はないものか。
わずかな隙間から、口をへの字に曲げて声を失くすのは、そう──間違いなく最愛の人なのに。
「悪天候のせいで飛行機が遅れたうえに、バスにも乗り損ねたんだから仕方ねぇだろーが」
ガシガシとバツが悪そうに髪をかきむしる彼のたくましい腕まで、わずか数センチ。
「ど、して……来るならなんで連絡してくれなかったのよ。そしたら迎えに……空港まで迎えに行ったの、に」
一秒でも早く、一分でも長く、そばにいたいと思っているのは自分だけなのか。
胸が痛い。あんなにも恋焦がれた人が目の前にいるのに。
「その……なんだ、サプライズ、ってやつ?」
「は?」
誕生日を迎える本人がサプライズをしかけるなんて聞いたことがない。
「何、それ」
「わりぃ。驚かせたことは後で謝るから、はやくココ開けてくんねーか」
「……うん」
この後訪れるであろう幸せの瞬間に胸を躍らせながら、結はふたりを隔てる細い鎖に、震える指をそっと伸ばした。
end