第9章 岩泉一
「わぁ~キレイ」
二学期を目前にして夏風邪をこじらせた俺の幼馴染みは、入院を余儀なくされた病院の屋上で、屈託のない声をあげた。
夜空に咲く大輪の花火も、ここからでは小さな花でしかないはずなのに。
「だな」
そんなことをおくびにも出さず、子供のようにはしゃぐ彼女に短く応えると、遠くに見える炎色反応に視線を戻しながら、小さく息を吐く。
新調したと言っていた浴衣姿が見られなかったのは残念だが、あのむせ返るようなひといきれに、幼い頃から身体の弱い彼女を連れていくことに抵抗がなかったとは言い切れない。
夜店の賑わいと火薬のにおい。
そんな夏の風物詩ともいえる空気を肌で感じる日が、来年こそ彼女に訪れることを願いながら、このままずっと自分の隣でひっそりと咲く花でいて欲しい──そんな身勝手な欲望は消えるどころか高まるばかり。
「遅いね。及川くん」
「……だな」
人より少し外見がいいだけで女にモテるお調子者の男の名前は及川徹。
いつからだろう。
アイツの瞳の奥に切なくも静かな炎が灯るようになったのは。
いつからだろう。
アイツとの会話に花を咲かせながら、透き通るような頬を染めるようになったのは。
家が近いというだけで手に入れた幼馴染みというアドバンテージは、とっくにゼロになっていた。
アイツになら任せられる
アイツにだけは渡さない
矛盾する想いに、心が声にならない悲鳴を上げる。
──俺じゃダメなのか?
「何か言った?ハジメちゃん」
小鳥のように首をかしげ、無邪気な表情を浮かべる彼女をこの腕に抱きしめて、自分だけの鳥かごに閉じ込めてしまえたら。
「結」
「ん?」
「来年は見に行けるといいな。もちろん及川も一緒に、な」
「……うん」
小さく頷いて、まるでその未来に思いを馳せるように夜空を見上げる儚くも美しい横顔に、胸がつまって声も出ない。
なんて情けない。その笑顔を守るためなら、どんなことでも耐えると誓ったのに。
たとえ、お前の隣にいるのが俺じゃないとしても。
「おせぇんだよ。クソ川」
病院を目指して全速力で駆けてくる小さな人影が、チームのキャプテンであり親友でもある男だと一瞬で分かってしまう自分に軽く舌打ちすると、今にもあふれだしてしまいそうな恋心を押し殺すように、俺はキツく唇を噛みしめた。
end