第1章 Prologue
けれど、そこに広がっていたのは安心という言葉には程遠い光景だった。
白いテーブルクロスの掛かったテーブルに、三つずつ置かれたティーカップとソーサー。その上に置かれた数枚のクッキー。
部屋に取り付けられた窓の外には、降り頻る雨の中母の植えた薔薇が咲いていた。
私が部屋を出た時となんら変わりない、いつも通りの部屋だった。テーブルの周り以外は。
『おとう、さん……?』
いつも私が走り回っている温かい色合いのフローリングは、黒く濁った赤に覆い隠されている。
その赤の中心に、瞳に光を宿さない私の両親が横たわっていた。
薄暗い部屋の中で輝きを放っているのは床に広がる液体だけだ。
『ゃ……おかあさ、おきてよ』
私の手から滑り落ちたぬいぐるみが小さな音を立てて床に転がる。
ぬいぐるみに滲んでいく赤も気にせず、倒れている両親に手を伸ばしかけたその時
「ん?…まだ居たんだね」
広い部屋に冷えきったソプラノの声が響いた。
声を辿ると、1人の男の子がいつの間にかそこに立って居た。
整えられた漆黒の長い髪がすごく綺麗で一瞬見とれてしまう。
けれどその間に覗く深い闇のような瞳と目が合った瞬間、背筋が凍りついた。
その瞳から逃げるように下へと落とした私の視線が捉えたのは、赤に塗れた男の子の掌。
両親を殺したのは彼なのだと、すぐにわかった。
『なんで、おとうさんとおかあさんをっ…』
私の呟きの意味を理解したのか、男の子は深く溜息を吐いてみせた。
「本当は全員始末しろって依頼なんだけど、面倒くさいし。
放っておいてもどうせ死ぬだろうから、もう少し君に時間をあげるよ」
私の疑問には答えないで、独り言のように淡々と呟いた彼は玄関に向かって歩いて行く。
『ぜったいに、…ゆるさないっ!!』
気が付いたらそう叫んでいて、それを聞いた彼が玄関の前で足を止めた。
「ふぅん…。じゃあ、俺を捕まえてごらん。俺の名前はイルミ=ゾルディック。
まぁ、君はどうせもうすぐ死ぬけどね」
扉の向こうに消えるその背中を見つめながら頭の中で繰り返す。
“イルミ=ゾルディック”。
その名を絶対に忘れてしまわないように、何度も、何度も繰り返していた。
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