第7章 移り香
フと、匂った。
苛立ちと焦燥感を煽る香り、幾種かあるその中のひとつ。松明草。
自然と眉根が寄り、動揺から咄嗟に自制が効く。
敢えて逸らず緩やかに顔を上げると、サソリが目に入った。舌打ちしかねないような苛立った様子で、広間へひっそりと踏み込んだ着衣の裾が馬鹿に汚れている。疲れの滲む顔と汚れた着衣のせいか、全体に煤けて見えた。
このところ見かけなかったが、何処で何をしていたのか。
自制を振り切って眉間のシワがより深まる。
「…久し振りですねえ」
声をかけたが答えはなく、煩わしそうに傍らを通り過ぎて行く。
いつものサソリだ。
「傀儡でもささくれると慰めが欲しくなるものなんですか。松明草が匂いますよ。あれには鎮静作用があるんでしょう?」
「うるせえ」
取り付く島もない。
「……」
開きかけた口を閉じた。
この気難しい傀儡使いはあの女を嫌っている。移り香する程の接触があろう筈もない。
だか、しかし。
「牡蠣殻磯辺に会いましたか?」
サソリが足を止めた。
他に誰もいない広間はしんとして水底のように重い空気を湛えている。
薄汚れた着衣とヒルコを纏ったサソリを注視する。僅かだが嗅ぎ違いようのない香りは去らない。
「何を言いてえんだか知らねえが」
サソリが薄ら笑いで振り返った。
「俺が牡蠣殻に会ったんだとすりゃ匂うのは返り血だろう。トチ狂ってんじゃねえ、馬鹿が」
「……」
「大体オメェも居所を知らねえアイツに、何で俺が会えるってんだ?偶然か?まさか。…クク」
目を合わせて笑い、サソリは鼻を鳴らして踵を返した。翻った外套の裾から山の土が生々しく匂い立って松明草を掻き消す。
…山に入っていたのか。
たまさか、サソリが傀儡の材を取りに山を巡るのは知っていた。出不精のサソリの意外な一面だが、これはそれだけこの男の傀儡への執心が深いという証左に他ならない。
傀儡より他に気の動く事が幾つあるのやら。
暁においては最も歳近な相手だが、何を考えているかさっぱりわからない。と言って、他のメンバーが何を考えているかと言えばこれもわからないのだからサソリが特別と言うのでもない。
恐らく己も、周りからそう思われているのだろう。
組んで動いているイタチでさえ底が見えない。何が目的で暁にいるのか。
わかるような気はする。しかし、確信はない。
まあ、それでいい。