第14章 磯辺に鬼鮫 ー裏ー
寒い。
暑いか寒いかなどどうでもいい事なのだが、寒い。
山は麓より寒気が流れ込むのが速い上湿度も高く、昼夜で寒暖の差が激しい。湿った癇に障る寒気。
「あの引きこもりがこんな場所に隠れ処を構えるとは…」
降り積もった落葉や木片を踏み締めて、鬼鮫は口角を上げた。
「意外ですね」
独り言と共に吐き出る息が白い。
この気候は体の弱った者には厳しいだろう。
別れ際に見た牡蠣殻は、効かない筈の薬の作用でひどく弱っていた。今はどうか。
草での四ヶ月はどういうものだったのか、何故今になって逃げ出して来たのか。
何を考え、何をしようとしていたのか。
何故サソリのところに居るのか。
夜半の空に少しく欠けた満月がある。それを見上げた視界が、我の吐き出した白い息で朦々と煙った。
「この寒ィのに」
抑揚のない声がした。その音源に視界が下方へ向く。
「わざわざご苦労なこったな」
声の主の、無表情にこちらを眺める綺麗な顔に月明かりが濃い陰影を落としている。
「わざわざお出迎えとはそちらこそご苦労な事ですね。歓迎してくれるとは思いもよりませんでしたよ。サソリ」
寒さに湿った腐葉土と夜露に濡れた植生の匂いがする。晩秋の山の匂いだ。サソリは鼻を鳴らして踵を返した。
「歓迎はしねえが入りたきゃ入れ。バ牡蠣殻なら居間の左隣の室に居る。寝てやがるがオメェの好きにしたらいい」
思いがけないサソリの言葉に鬼鮫は眉を上げた。
「また随分と物分りの良い。どうしたんです、気味の悪い。山気に当てられましたか」
「うるせえ」
サソリは苛立った容子で半ば振り返って横顔を見せた。
「オメェがここに居るってんなら俺は山を下りる。山の夜は湿っぽくて好かねえ。朝まで帰りゃしねえから後は勝手にしろ」
鬼鮫の眉間に皺が寄る。
サソリがうっすらと笑った。
「アイツァ今巧い事失せれねェらしいぜ。草でさんざ饗されて来たんだろう。連れて行きたきゃ担いで行けよ」
鋭い歯並を見せて鬼鮫もまた笑う。
「あの人をどうしようが私の勝手です。差し出口は要りませんよ」
「コイツが何だか、オメェにわかるか?」
サソリが胸元に手を入れて、チャリと音を鳴らした。鬼鮫の笑いが失せる。サソリは満足そうに懐から空手を出した。
「わかるみてぇだな」