第12章 薬師カブト
牡蠣殻に薬は効かない。
目論見の外れたサソリは牡蠣殻が寝入るまで寝台の傍らで傀儡を手入れし続けた。
「…よく飽きませんねえ…」
ぼんやりとその様を眺めて、牡蠣殻は何度も洩らした。ぼやけた目線、目の下の隈、眠薬が効いたとは思われない。未だ草の薬の支配下にあるのが知れる。証拠にあれだけ知りたがったサソリの目的を追求して来ない。思考にムラがある。
牡蠣殻が盛んな瞬きと咳き込みの後うとうとし始めた辺りで、サソリは初めて牡蠣殻へ答えを返した。
「オメェも本にゃ飽きねえだろ。同じだ」
薬の揺り返しで微睡む牡蠣殻が、茫洋と瞼を開けて大儀そうにサソリを見た。
「……なら私にも本を下さい…」
「それでオメエが黙るなら」
「黙りますよ。そもそも貴方と話す事なんてないんですから」
掠れ声で言い残し牡蠣殻はすぅっと寝入った。サソリはそれを暫し見守り、深く寝入っている事を確認すると舌打ちして立ち上がった。
「厄介な」
サソリの与える薬が効かないとなると、無闇に目放し出来ない。つまりこのムカつく女に貼り付いていなければならないという事だ。草の薬の効果が切れればこうして深く寝入る事もなくなるかも知れない。今は弱っていて叶わないようだが、この女は神出鬼没の技を持つ。いつ謀られて失せられるか知れたものではない。知らぬ間に弱り果てて死なれるのも業腹だ。
煖炉の薪がコソッと鳴って崩れた。
ちらりと見れば煖炉脇の薪が残り少ない。差し掛けの薪置きから少し運び込んでおかなければ。
面倒臭い。
今一度牡蠣殻の様子を見、念の為頬をつねり上げて反応がないのを確認して、サソリは家を出て差し掛けに回った。
外気が刺すような冷たさを纏い始めた。そろそろ本格的な冬に入る。山の冬は足が早い。色々支度しなければならない事がある。
面倒臭い。
嫌々薪を抱え上げ、見上げた空の端に月が薄く浮かび上がっている。日も短くなった。
一度山を下りなきゃならねえな。
面倒臭い。
牡蠣殻の寝ている間にと山を下り、諸々の用を済ませて重い荷を引き摺って隠れ家に戻ったサソリは、そこに思いがけない来訪者がいるのに驚いた。
薬師カブト。
寝入る牡蠣殻の側に音のカブトがいた。
久し振りに見る顔だ。
サソリはうんざりと運び込んだ荷を下ろした。
「…一体何の真似だ、薬師」
いよいよ面倒になって来た。頭に来る。