第2章 翌日の市場で
この街が気に入ったのは、少し前まで船大工として暮らした街に海の色が似ていたから。仕事の為に周りを欺いて過ごしていたが、その街での生活は楽しかった。
案外性に合った暮らしだったのかも知れない。
そんな思いが、よく似たこの街に足留めさせた。
海岸線で緩やかなカーブを描いて打ち寄せる青緑色の海を眺めながら、カクは早朝から根気よくさし続けて来た竿を納めた。
「今日はいかんな。潮が悪い」
そもそも腹の足しに竿を垂れている訳ではないのだから釣れなくても構わない筈なのに、矢張り坊主はつまらない。
気付くと腹も減っている。
竿を片して伸びをし、白い壁が鮮やかに連なる町並みに身を反すと、痛いように碧い空に小さな影が走った。
・・・宙飛・・・?
咄嗟に思ったのは、昨晩の女の事が頭にあったからか。
改めてよく見ずともわかる。あれは鳥影ではない。人影だ。
しかしあの動き、何故か知らん馴染み深く感じる。
建物から建物へ、高みから高みへ、駆け、踏み切り、高く跳び、長く滑空する。
ああ。・・・ありゃひょっとしてワシじゃ。
思い当たってカクは目を見開いた。
・・・いや、ワシャもっと高く跳ぶし、もっと長く滑空するが・・・
時折建物に手を掛け、腕を使って振り子のように小さく跳ぶところも自分とは違う。
陽射しに逆らって見開いた目を細め、もっとよく見極めようとしたところで、影は町並みに姿を消した。
「何じゃ、あれは・・・」
キャップの庇を上げ、目を瞬かせたカクはいささか呆然と呟いた。
自分以外にあんな風に疾走するものを初めて見た。
ワシもあんな感じなんかのう。だとすりゃあ、ずいぶんと気持ち良さげな事だわい。
フッと笑って釣り道具を担ぎ上げる。
今は訳あって目立つ事を控えているが、前の街では誰憚りなくああして駆け跳んで、山風などと呼ばれていたものだったが。
「ここで疾走るのも気持ちよかろうな・・・」
ポツリと溢して歩き出す。
この街は海沿いに市場が立つ。山海の恵みがふんだんに溢れた豊かな土地なので、市場にも活気がある。見て歩くだけでも飽きないが、残念ながらそれでは腹は膨れない。
舌の肥えた市場の連中が通う店に行くか、手間をかけずにすぐ腹に収まるものを買うか、材料を求めて手ずから調理するか。