第9章 1864年【後期】 門出の時
さすがに襦袢に浴衣一枚着ただけの夜着では、寒くて寒くて、部屋の中は少し暖かくてほっとする。
とはいえ、特に話す事があったわけでもなかった私は、それがばれてしまわないように、山南さんに背を向けてゆっくりと襖を閉めた。
すると…寒かった肩に、ずしりと着物の心地いい重さを感じる。
それは山南さんが普段着てる羽織で…
「…夜着では寒いでしょう。それを羽織ってなさい。」
と、冷めた声は少し優しくなっていた。
山南さんの羽織は、私には大きくて…
「山南さんの匂いがする…」
思わず呟いて、暖かさとなんだか包まれているような感覚に、少し恥ずかしくなった。
そんな私に、山南さんは依然と冷たい声色のまま、
「それで…話とはなんです?」
と、座ることなく問いかける。
思いつきだけでここへ来てしまったから、えーと…と、部屋を見渡せば、まだ敷かれたまま入った様子のない布団が目に入った。
山南さんも夜着な事に今更気がついて、夜更けに夜着で何も考えずに来てしまった事が、とてつもなく恥ずかしい。
それを隠すように、
「山南さん寝てなかったのですか?」
と、布団の様子から言葉を絞り出した。
「ええ…ちょっと…読み物を…」
山南さんと私の間は、人一人分くらいの距離が空いてる。
山南さんはそう言うと、私から視線を外した。
「それで?貴女は何を?」
えーと…
「山南さんに…会いたくて…」
って私は何を言ってるのだろう。
いい加減恥ずかしくなって、裸足のつま先を見つめたまま顔を上げられない。
「すみません…早急に話す事も無かったのです…ただ…来たかっただけで…」
続けた言葉も様子がおかしくて、私は一体どうしちゃったんだろう?っていうくらい心拍数が上がってしまっていた。
顔が上げられないまま、爪切りを失敗して形が少し変な足の爪を見つめていると、私の足の指のすぐ近くに、山南さんの足が近づいてる。
はっ…と顔をあげれば、それは…前に私がもっと見てみたいとおもってしまった…男の人の色を瞳に宿した山南さんだった。
思わず右手を伸ばして、
「やっと…見れた…」
と、こぼしてしまえば…
山南さんの頬あたりを目指していたその右手は、到着する前に山南さんの左手に掴まれた。