第7章 1864年ー元治元年ー【後期】
少しかがんだときに、原田さんは耳元で私にだけ聞こえるような小さな声で、
「お前ほんとに顔色悪いぜ?大丈夫か?」
と、聞いてきたので、笑顔だけで返す。
私がそろりそろりと下駄を脱ぐと、「ほら、お前の出番だ」と隊士さんに言って、原田さんは後ろに下がって行った。
「おおきに…」
自分の下駄をいじられるのってこんなに恥ずかしいのか!と、実感する。
隊士さんは手ぬぐいで一生懸命鼻緒を作って直してくれた。
そして私の足元に置くと、「直りましたどうぞ」と、屈託のない笑顔を向けてる。
「おおきに。手、汚れてしまったのではないですか?」
「い、いえいえ。こちらこそ女子の足元にいきなり失礼しました。」
これは…一般的には恋とかはじまる瞬間だよね?
だけどごめん隊士さん。
相手が私じゃなければ絶対始まったかもしれないけれど…残念でした。
頬を赤くして、名を名乗る隊士さんの様子を見ながら、私はそんなことを考えた。
「おおきに。」
そう言った頃には雨は小雨に変わっていて、挨拶もそこそこに名乗る事無く、私はそそくさとその場を離れた。
新選組を嫌がる町人に見えてしまったかもしれない。
そうしなければならないんだもん。
もう、あのお店にあの隊士さんはきっと来ない。
っていうか新選組の隊士と仲良しだなんて噂流れたら潜伏してる意味がないから来ないで欲しい…
そう思ってそっけない態度をとってしまったのだけれど…
なんだかなぁ。
生理痛はどんどんひどくなる上に、無駄に他人の心に傷をつけてしまったことへの罪悪感で、その日の私はくたくたに疲れた。
数日後、
「夢主(姉)、町娘の姿似合ってたぜ?ってあっちが本来の格好だもんな。」
屯所の庭先で原田さんに偶然遭遇した。
「あいつへこんでたぜ?」
「だって好きになられたら…困ります」
「わかってるって。さすがだよ、お前は。」
誘いを断る、とか、想いを断るのは、ここに来る前からちょこちょこあったけど、本来の自分の姿ではないものへの気持ちを断るのはちょっと複雑。
ここのところ甘味屋の私宛によく貰う恋文のことを考えると、大きなため息が出る。
甘味屋で働く私は、私であって私じゃない。
みんな私のどこを見て好きだと言ってくるんだろ?
誰も私のことなんて見えてないくせに。