第3章 ● ハートビート・イヴ
「っお母さん、あのね、」
くつくつと音を立てるお鍋。
お肉がたっぷりのビーフシチューを煮込んでいる背中に、決死の思いで声をかけた。
くるり私を見やる眼差し。
どうせロクでもないこと頼むつもりでしょう。そう言いたげな母の双眼に一瞬怯んで、ぎゅうっと拳を握る。
彼が宮城を発つまで、あと3時間。
今日の部活を無事終えて帰宅したお家のキッチンで。私は、ある意味では最も強固な鉄壁を打ち砕こうとしていた。
ぐずぐずモジモジしていたせいで直前まで言えなかった大事なこと。私の親である彼女に伝えなければいけないこと。
ここを乗り越えなければ、遠路はるばる会いにきてくれる彼の気持ちも努力もぜんぶ、棒に振ることになってしまう。だから。
毅然として、──言え。
「……っ私ね、烏野高校の菅原くんって人と付き合ってるの! それで、それでね、明日その彼が会いに来てくれるの、宮城から。だから、明日はすごく朝早く家を出たくて、もしかしたら帰りもちょっとばかし遅くなるかもしれませんが許してください!!!」
言、って、しまった。
いや、ちゃんと言えたんだ。
偉いよ私。がんばったね私。
でも、母はなにも言わない。
それなりの覚悟をしていたとはいえ、すごく緊張する。彼女の顔が見れない。
怒ってる?
呆れてる?
選手たちが頑張ってるこの時期に、とか、監督みたいなこと言う? 受験生のくせに恋愛にかまけて、とか、先生みたいに責めたてる?
思いつく限りの【拒絶と却下】を想像して、胃がギリギリと痛むのを感じた。
こんなことならもっと早く話せばよかった。後悔先に立たずとはこのことか。このことだ。
うう、なんか言ってよお母さん。