第1章 ● はじまりの唄
「ささのは、さらさら」
小さく口ずさむ声が聞こえた。
冷やされた麦茶の海でたゆたう氷を頬張って、やさしい唄に耳を傾けた。それは、星空の恋に捧げられた童謡だった。
「赤葦が唄? どうして?」
冷房の効いた室内。
目を丸くして驚いたのは私。普段、唄を歌うようなキャラではない後輩に問いかけると、数Ⅱのワークブックに落とされていた視線が涼やかにこちらを向く。
「七夕は7月だけじゃないですよ」
夏休みの残数が刻一刻と減っていく今日、カレンダーが示すのは8月7日だった。七夕は先月に終わっている。
赤葦はどうやら、私の「どうして?」をそれ故と勘違いしたらしい。
クエスチョンマークを浮かべたままでいる私に、彼は自身のスマホをかざして見せた。
「月遅れの七夕、知りませんか?」
傷ひとつない液晶画面。
写真投稿アプリに並ぶその光景には、たしかに見覚えがある。
商店街のアーケードが大振りの七夕飾りで埋めつくされる様は、それはそれは美しい。
しかし、私が瞳を奪われたのは眼前の美ではなかった。
仙台七夕まつり。
その、頭二文字。
提灯明かりに照らされた看板に【彼】の面影を見つけて、鼓動がちくんと疼きだす。
ちょうど一ヶ月前の、あの日。
今夏初めてのグループ合宿。
7月7日の夏空の下で、私たちは出会ったのだ。
(今頃どうしてるかな、菅原くん)
菅原くん。
菅原孝支。
私の、大好きなひと。
恋人同士になってまだ間もない彼を想い、飲みかけだった麦色に目を落とす。
聞こえるのは「月遅れの七夕と明治改暦について」を説いている赤葦の声と、ぎゃいぎゃい喧しい同級生の雄叫びだ。