第4章 どこにも行かないで
「私の男」
最初に言われた時は、そんなこと生まれて初めて言われたから、俺は大層面喰った。そんな俺に野薔薇は「先輩のそんな顔、初めて見た」と言った。
初めての笑顔を見た時、俺は本当に恋に堕ちた。
そう思うとやはり顔か?そんなこと言ったらまた怒り出すだろうか。「景吾のバカ!」と言って枕でも飛んでくるだろう。
眼鏡をしていないのに口角の端を少し上げて可笑しそうに笑う顔は、突然人形が動き出したようで、いつ見ても美しい。
「お前・・」
「はい?」
小首を傾げる姿はまた人形みたいに美しく、あざとい。
本人に他意がない分、より美しく見える。
陶器のように滑らかで白い肌。
くっきりと線を引いたような綺麗な深い二重瞼の下には少し茶色がかった大きな瞳。
耳まで切ったショートヘアは少し伸びて、もうすぐで肩に付く。
俺の前だと眼鏡がなくても少し笑ったり、表情が変化する。
他では見たことがない。
必ず、相手を黙殺させるような冷たい瞳になるのに、二人きりの時は少し表情が穏やかになる。
眼鏡をかけている時は、よく笑い、よく怒り、表情が豊かに見えるのに、母親の呪縛はそんなにも強いものなんだろうか。
でも、そんなことを言ったら、恐らく彼女は怒るだろう。
貴方はそんなこと考えなくていい。私のことは私が解決するから、と。
でも、ほんの少しでも俺の前で笑う彼女が愛おしくて、表情が変わる度に嬉しかった。
プライドの高さは母親譲りだろうか。
決して理不尽に屈しないような、中学生らしからぬ強い瞳の彼女を見ていると、運命なんて信じないが、彼女を知ったのは偶然ではない気がした。
「景吾」
可愛らしいけれどハッキリした透き通るような声が俺の名前を呼ぶ。
目を合わせると、また目元が笑った。
頬に触れるとその手に頬を寄せられ、珍しく甘える姿に、胸が縮む様な痛みを伴った。
行為の最中はいくらでも表情が変わることを、彼女にはまだ伝えてない。
気付いているかもしれないが。