第3章 過去
「若、優しいね」
「うるさいっ」
「日吉、ありがとう」にこ、と笑う長太郎に若は「おう」と言った。
若とは、長太郎と校庭の隅で四つ葉のクローバーを探しているときに仲良くなった。
七不思議を求めて校庭をうろうろしいたらしいけど、私と長太郎を認めてがっかりした顔をして「人を巻き込みたくなかったんだが、仕方ない」と言って一緒に七不思議を探して仲良くなった。
2人の心優しい友人に支えられ、幼稚舎最後の2年間は楽しくて素敵な毎日だった。
反して、家の中の空気はどんどん悪くなっていった。
自分のシワや肌の衰えに耐え切れない母は、とうとう精神を病んでしまい、療養所へ行ってしまった。
お母様がいなくなると、仕事が忙しいと言ってほとんど家に帰らなかったお父様が家に帰ってくるようになった。
むせるような薔薇の香りを纏って家に帰るお父様に、今更笑いかけることも出来ず、何時ものようにしていた。
笑わない娘に飽きたのか、お父様は薔薇の香りの人を、家に連れてきた。
「野薔薇、この人はお父様の大事な人だよ」
連れられた派手な女の人は、母とは違う種類の美人で、きつく巻いたロングヘアからも強い薔薇の香りがした。
「野薔薇ちゃんって言うんだー。綺麗な顔してるねぇ、これから仲良くしてね!」
「…」
口ごもると女の人は、一瞬とても嫌そうな顔をして、その後にっこり笑った。
「ま、いっか、別に私がしつける訳でもないし」
女の人はその日から家に住むようになった。
始めこそ一緒にご飯を食べていたけど、女の人が「2人で食べたいなぁー」と言ってから私の食事は部屋に運ばれるようになった。
笑わないように、泣かないように、お母様がいた時と変わらないように努めた。
学校では時折、思い出したように小さな嫌がらせが続いたけれど、長太郎と若がいたから、それほど気にならなかった。
中等部に入る時、長太郎と若から眼鏡をプレゼントされた。
度は入っていなくて、四角くて可愛くない眼鏡。
かけると目が小さく見えて、かけた私はお世辞にも可愛いと言い難い見目だった。
3人で笑い転げた。
だから私はそれをとても気に入った。
眼鏡をかけている間は、笑うことも起こることも怖くなかった。だってこれは私じゃない、そんな風に思えた。