第8章 特別な存在(岩泉視点)
走って、走って、息も苦しくて、足も重たくて。でも、走り続けた。どれだけ走ったか分からない、ただ夢中で走った。
そして、莉緒の姿が、視界に飛び込んできた。莉緒の目の前には四宮。莉緒に手を伸ばし、力一杯自分の方へ抱き寄せた。
「一君、大丈夫。もう、大丈夫だよ。」
莉緒は笑った。嗚呼、そうだ。莉緒は昔こんな風に笑ってた。あの日から見る事の出来なかった、莉緒の本当の笑顔。ずっと見たかった莉緒の笑顔。守っているつもりだった。守れると思っていた。でも違った。莉緒に必要なのは守ってやる奴が傍にいることじゃない。莉緒に立ち向かう勇気を与え、背中を押してやる奴だった。そして、それは俺じゃない。
────及川だ。
莉緒を誰よりも大事に思って、莉緒を支えてやれるのは俺だけだと思い上がっていた。莉緒を過去の恐怖に縛り付けていたのは四宮じゃない。俺だ。俺のエゴのせいで莉緒を縛り付けていた。
そして、莉緒の中で及川の存在が大きくなっていくのが、分かった。今まで味わった事の無い劣等感。及川が凄い奴だってのはずっと前から知ってた。ずっと及川の隣にいたから。俺なんかが及川に勝る事なんて何もない。そんなのずっと前から知っていた。諦めていた。俺なんかが及川より劣っているのは分かりきっていた事。そんな及川が莉緒の中で特別な存在になることも、分かっていた筈。なのに、莉緒の中での特別な存在が、俺じゃなくなる事が、
怖い
と思った。