第70章 夜よ明けないで〔千歳千里〕
「悪かばってん、タオルば貸してくれんね?」というちっとも悪いとは思っていないだろう口調の千里の言葉を背に、洗面所へと走る。
よかった、お風呂のお湯はまだ落としていないから、そのまま入ってもらおう。
バスタオルを引っ掴んで玄関に戻ると、濡れた髪をかき上げていた千里が悪戯っぽく笑った。
「水も滴るいい男、ち思いよるやろ?」
「バカなこと言ってないでさっさと拭く! なんで傘持ってないのよ、こんな雨なのに」
「忘れた…、ん? 失くした?」
「…あーもう、ほんっとバカ!」
私が思い切り顔へ向けて投げつけたタオルを難なく受け止めて、千里はまたからからと笑った。
床が濡れない程度に雨を拭いた千里をバスルームに押し込める。
さすがに深夜に洗濯機を回すのは憚られて、濡れた服はひとまず洗濯かごへ放った。
ただでさえ大きくて重たい千里の服は、水を吸ってさらにずっしりと重たかった。
これではまるで鎧だ、よくこんなに重いものを着て歩けるものだと妙なところに感心しつつ、「ぬくかー、天国ばい」なんて湯船から気の抜けた声を上げる千里へドア越しに問いかける。
「なんで自分の部屋に帰らなかったの? あっちの方が近いじゃない」
「んー…会いたくなったけん」
少しは悪びれたらどうなのだ、という可愛くない台詞が口から出かかっていたけれど、千里のまっすぐな言葉を聞いたら引っ込めざるをえなかった。
「……珍しいこともあるのね、明日は久しぶりに晴れるかも」
「はは、相変わらず手厳しかねえ」
焦って探した代わりの台詞は、完全な照れ隠し。
洗面所の鏡に映った自分はどうにも締まりのない顔で、見られていなくてよかったと一人安堵する。
ちゃぷん、とお湯の揺れる音がした。
千里の大きすぎる身体は、窮屈そうに折りたたんでもきっと湯船からはみ出ているだろう。
「冷えてるんでしょ、ちゃんとあったまってよね」なんて当たり障りのないお節介を口にして、洗面所を出た。