第4章 愛すべき泥濘で口付けを (R18:黒尾鉄朗)
ゆっくりと伸びてくる彼の手。
私の濡れた頬に、そっと触れる。
その刹那だった。
彼はハッ、と我に返ったような顔をして、それから表情を蒼白なそれに変えていく。
一体どうしたというのだろう。
彼の、黒尾の、こんな表情は見たことがない。恐れと、焦り。その両者がない交ぜになったような、そんな顔。
「……くろお?」
「………に、……いで」
「え……?」
「……俺のこと、嫌いにならないで」
消えてしまいそうな声だった。
嫌いにならないで。
黒尾は呆然と、しかし確かにそう言った。ひどく怯えた様子で、その声をか細く掠れてさせて、おずおずと私を見つめるのだ。
「ごめ、ん……こんな、ひどいこと……でも俺、……俺にはお前しかいなくて、……お前に、絢香に嫌われたらどうしたらいいか……ごめ、お願……っ嫌わないで……!」
ああ、なんて脆い。
彼はいつだって飄々として、どこか無感情で、何かを達観しているような、大人びた男子だと思っていた。
でも、違うんだね。
黒尾だってまだ高校生で、17歳なんだ。私と同じ。不安定で、未成熟で。恋に胸を焦がすあまり盲目になることだってある。
嫌わないよ。
側にいるよ。
だって──
「嫌わないよ」
「……ほんとうに?」
「うん、絶対」
この人、私がいないと壊れてしまう。
「……ずっと側にいてくれる?」
「うん、黒尾の側にいる、ずっと」
永遠を誓うと同時に抱きしめられ、きつく、きつく、閉じこめられた彼の腕のなか。縋るようにして落とされるキスに応えて、ゆっくりと目を閉じる。
薄っすらと開かれた彼の双眼。
猫のようなその瞳に、したたかな冷笑が浮かんでいたことを、──私は知らない。