第1章 1
そこへ鬼灯の指がすっと唇を撫でた。
しっとりした感触だけが残る。
「終わりましたよ」
「え…?」
目を開くと鬼灯は壷の蓋を閉めているところだった。
(え?もしかして本当にこれだけ?)
「不服そうですね。それともなにか期待が…?」
「ちっ、違います!鬼灯様こそ早く机から降りてください!」
これ以上は色々耐えられない。
早く離れたくて鬼灯を押し返すと、意外にもすんなりと離れてくれた。
勿体ないなんて思わない。
からかっているのか本気なのか、その境目が未だにわからなくて一挙一動に慌てる自分はきっと滑稽なはずだ。
いつかはお香のように慎ましく振舞えるようになりたい。
何事もなかったような顔で仕事を再開した鬼灯にため息をこぼさずにはいられなかった。
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「万葉さん」
「はい、なんでしょう?」
「せっかくあげたんですから毎日ちゃんと塗ってくださいね」
「…わかってます」
やっぱり蜂蜜は好きになれないが、唇に塗る程度の量なら苦にはならないだろう。
それに好きな人に唇が荒れてるなんてもう言われたくない。
キスはするにしろされるにしろ滑らかな唇の方がいい。
「ちゃんと塗ります」
「そうして下さい。もし蜂蜜が余ったりしたら…」
「余ったりしたら?」
「他のところにも塗りますからね?」
「ほ、他って…」
「おや、言わないとわかりませんか?」
「言わなくていいです!言わないでください!」
万葉は顔を真っ赤にしながら叫ぶと、逃げるように閻魔殿を出て行った。
その後姿を見ながら鬼灯はくっと喉で笑う。
壷の中の蜂蜜が到底なくなりそうにない量だと気づくのは、万葉がその夜、唇に蜂蜜を塗ろうとした時だった。