第1章 かりそめの遊艶楼
❦雅紀Side❦
楼主部屋を後にすると
大きく溜息をついた
…本当にこれでいいのか
まぁ兄はこのまま…
十字架を背負ったまま
藍姫を避けて
想いを閉じ込めて生きていくのか
無駄に広い階段を降りると
出入り口のドアの所で
慧が櫻井様をお見送りするのが見えた
「櫻井様、もうお帰りですか…?」
「あぁ。
そうだ、この楼に月が見える部屋は無いかな、」
「月…で御座いますか?」
一部屋だけ洋室のままのお部屋がある
その部屋は南側の壁一面が大きな窓になっていて
そこならば月がよく見えるだろう
「あることにはありますが…
申し訳ないのですが、その部屋は以前ダンスホールとして使用しておりましたので、グランドピアノと小さなソファー位しかなく…
お客様をお迎え出来るような設備は整っていないのです」
「ピアノもあるのか…?
そこがいい!
その部屋をなんとか使わせて頂くことはできないか
この通り!」
櫻井様が番頭の俺に頭を下げている
「お止めください、櫻井様!
わかりました、調整してみますので頭を上げてください」
「ありがとう。
無理を言ってすまない」
「いつ、ご利用ですか?」
「できれば今夜…和也を指名で」
「和也、ですか…」
「あぁ。
布団は要らない。もちろん風呂場も必要ない」
「と、申しますと…?」
「月の見える部屋で
和也とゆっくりと過ごしたい
それだけなんだ」
「櫻井様…?」
一体どういうことだ
この方は何を考えている…?
櫻井様をお見送りし
楼主に話を通すと
下端の部屋子にその部屋の掃除をしておくよう言い付けた
丸一日和也を他の客に付かせないようにと
前金で手付けまで支払っていくなんて
藍姫の時にだってなかったことだ
よっぽど和也を気に入ったんだろうか
それとも…
こんな時間にたかだか10分ほど
藍姫を買うことでさえ不可解だ
金持ちの考えていることはわからない
何か大事を起こさなければいいが…
「和也、入るよ?」
蜩の間の襖を開けると
今しがた起きたばかり、といった和也が
眠たそうに薄く目を開けて布団から顔をのぞかせた
「雅紀さん…?」
「おはよう、和也」
「ん…おはようございます、」
寝惚けているのか
いつもより増してあどけない顔で
ふわり、と笑みを返した