第1章 かりそめの遊艶楼
「…でも良いって」
「言ってたの?」
「言っ…てはない
頷いてただけだけど…そんなん一緒だろ」
頼んだコーヒーが香りを漂わせながら運ばれて来て
お互いにそれを受け取ると、少し口に含んだ
カップをテーブルに置いてすぐ、潤が話を再開させる
「相手の気持ちをさ、考えたことある?」
「……和也の?」
「翔くんに関わってきた全ての人達の、だよ」
声色は優しいのに、いたく真剣な瞳
俺の目はそれを避けるように泳いだ
「あんまりなさそうだね
…俺ね…さっきずっと藍姫と話してたんだ」
「え?」
目線が潤に戻って
「ヤらなかった」
咄嗟に、なんてもったいない…と思ってしまってた
「男が初めてだから、とかじゃないよ?
すごい魅力感じたから抱こうと思えば抱けたかもね
でもああいう処だからって、ヤらなくったっていいでしょ?
俺は藍姫のことが知りたくて…
話しませんか?ってお願いしたの」
大体の人が
あそこには射精本能を満たす目的で行くんじゃないだろうか…
「話したらね、もっと惹かれた
藍姫って…すごく可愛く笑うんだね」
…知らない
そんなの見たことない
最初の頃
薄く笑ってくれた、それだけ
それ以来きっと仕事用の、太夫としての顔としか会ってない
「抱かなくったって
そういうの見てるだけで、心が気持ちいんだよ?」
「心…?」
「うん、分かんない?」
「…あんまり…」
「藍姫にね、本当色々聞いたんだ
翔くん今度行った時…話してみなよ
あそこにいる子達のこと、知った方がいいよ」
あ…俺が和也から聞いた話かな
でも聞いた、とは言えなかった
「それ聞いて翔くんの心が成長すればいいね…
育った環境が止めちゃってるだけなんだよ
今からでも、十分間に合う」
「…う、ん」
同じ条件で育ってきたはずなのに、出来てる差
きっとこのままじゃダメだって気付いた潤と
流れに身を任せていた俺
心を学んだら藍姫は笑ってくれるのか
和也は抱き締め返してくれるのか
…金に囚われた自覚が全くないわけじゃなかった
俺は…変われるのか
帰り際、いつもより少し苦く感じるコーヒーを飲み干し
「…御馳走様でした」
意識しながら初めてマスターに告げた
強面の顔がほわっと緩んで
…俺の心が僅かに、揺れた気がした…