第13章 鬼と豆まき《弐》
──ドプン…ッ
見た目はインクのように黒々しい液体のようだった。
しかし飛び込んだ影の中は、海のように視界がクリアに広がる。
広く、何処までも深い。
実弥の体が静かな水中に浮かぶように、揺らめき止まる。
息は不思議とできた。
(鬼独特の歪な気配はしねェな…)
何度も戦い、その頸をもぎ取ってきたからこそわかる。
異能を扱う鬼共は、何人、何十人、何百人もの人間を喰らった者達。
その異能からは、禍々しい気が肌を突き刺すように伝わってくるのだ。
しかし蛍の影から溢れ出た広大な黒い海は、静寂。
波一つ立っていない。
薄らと真上が明るいのは、外の太陽光のお陰か。
天元とは異なる白髪と、服の袖を揺らしながら、水中で泳ぐように足で蹴れば体が進む。
辺りを見渡しながら、ゆっくりと実弥は深い影の中へと降下していった。
(時透の姿が何処にもねェ…あの鬼が隠したのか?)
深い海底を思わせるような影の奥底は、闇一色。
実弥を迎え入れようとしているのか、喰らおうとしているのか。
ブラックホールのような闇の中に、それでも臆することなく泳ぎ進めていく。
──ィイ…
真上のほのかな外界の明かりが、届かなくなった頃。
無音の世界だと思っていた静寂に、微かに何かを耳にした。
金属を擦り合わせるような、強い耳鳴りのような、はたまた何かの悲鳴のような。
──ィイイイ"イ"…
神経を逆撫でするような不協和音が、徐々に大きさを増していく。
(なんだァ?)
口を開けば、ごぽりと水中であるかのように空気が抜ける。声は出せない。
その場で足を止めた実弥は、不穏な気配に竹刀を構えた。
鬼が出るか蛇が出るか。何処から襲い掛かられてもいいように、神経を研ぎ澄ませる。
水中のような影の中では、壁がない。
果たして何処からこの不協和音は鳴り響いているのか。
唐突にそれは目の前に現れた。
ギッと不協和音を立てて、ただの闇でしかなかった空間が割れたのだ。
割れるというよりも、引き千切られるような感覚に近い。
何故なら空間が亀裂を生めば、悲鳴のような不協和音も尚響く。
ギィイギィイと身を引き裂くような音に、割れた空間から溢れ出るもの。
それは実弥が今まで見たことのない光景だった。