第11章 鬼さん、こちら。✔
「き、杏」
「さぁ早く帰ろう! 夕餉が楽しみだ!!」
つい漏らした情けない声は、杏寿郎の大きな声に掻き消された。
それはよかったんだけど。
突っ込まれても返せないから。
いやでもよくない。
さらっとなんでもないようにとんでもないこと言ったから。
男女の関係上、その表現は間違ってはいない。
間違っては、いないんだけど。
煉獄家の長男で。
鬼殺隊の剣士で。
人の上に立つ炎柱で。
私の師範で。
いろんな肩書きを持つ姿を見てきたけど〝男〟としての杏寿郎は見ていなかった。
だからこそ初めてその腕に抱きしめられた時も、怖さなんて感じなかったんだ。
私にとって特別なひとだけど、それは〝煉獄杏寿郎〟として特別なひと。
だからこそ改めてお互いの立ち位置を思い知らされて、初めて意識した。
「そ、そんなに急いだって、ご飯は逃げないよ?」
「うむ! しかし蛍に祝って貰える時間は減る!」
ぐんと強く、だけど転ばない速度で引っ張っていってくれる、大きな手。
突然理解した杏寿郎の男としての姿に、握った手に変な汗を掻きそうにもなったけど。
「だから早く帰ろう!」
あまりに杏寿郎が屈託なく笑うから。
「…うん」
つられて頬が緩む。
だから私も強く握りしめた。
その手を、離さないように。