第10章 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る✔
目覚めはゆっくりと浮上するような感覚だ。
人からすれば朝だけど、私はとっぷりと日の暮れた時間帯。
空は暗く夜の闇が覆い始める頃に、体内時計が知らせるように目が覚める。
冷たく吹き込む師走の風に身を竦(すく)ませていたけど、最近はそうでもなくなった。
仕切りのない小窓から吹き込むのは、ほのかに心地良い風。
冬は終わりを告げた。
春の予感を感じさせる風に頬を撫でられて体を起こす。
檻の隅に常備してある水桶で手拭いを濡らして顔を拭く。
一張羅の袴に身を通して、櫛を通した髪を簡単にまとめる。
黒い一本軸に、綺麗な珊瑚色(さんごいろ)の丸い玉飾りが付いた玉簪。
それを髪留めとして差し込んでいつもの身形が完成。
蜜璃ちゃんに貰った手鏡で簪の位置を確かめながら、つい口元が綻ぶ。
義勇さんにとっては落ち込む私への単なる励ましだったかもしれない。
それでも蜜璃ちゃんに着物や髪飾りを貸して貰ったことはあっても、自分の物として手元に置ける装飾品を貰ったのは初めてだったから。
あの初詣の日から随分と経つのに、未だに思い出しては顔が綻んでしまう。
こんなニヤけ顔、誰かに見られたら恥ずかしいどころじゃないな…いけない、気を引き締め
「蛍ちゃん」
「わあっ!?」
眉間に力を入れようとすれば背後から届く声に体が跳ねた。
「よ、よう…そんなに驚かせるつもりはなかったんだが」
「っ後藤さん!」
振り返れば、ぎこちなく片手を挙げる隠の後藤さんが檻の外で待機していた。
いけない、もうそんな時間っ?
「いえ、あの、大丈夫、です。こんばんは」
「ああ、こんばんは」
お互いにぺこりと頭を下げる。
後藤さんと交わす、いつもの挨拶。
今日は杏寿郎との呼吸稽古はお休みの日。
伊黒先生と蜜璃ちゃんとの勉強会も、天元との組手稽古も、義勇さんとの鬼講義も、胡蝶との拷も…診察も入ってない。
代わりに隠の後藤さんが顔を見せてくれる日。
あれから、その言葉通り後藤さんは時間を見つけては私に会いに来てくれるようになった。
話す内容は概ね世間一般的なこと。
でもその世間話が私にとっては大事だったりする。
柱との距離を詰めることも必要だけど、なんの気負いも気兼ねもなく話せる後藤さんとの時間はほっとするから。