第37章 遊郭へ

「あんた蛍って言ったわね」

「ぅ、うん」

「なに舐めた口利いてんの。相手は上弦よ、敬語でしょーが」

「っはい」

「お兄ちゃんはああ言ったけど、男に不慣れな女が成り上がれる程、遊郭(ここ)は生温い世界じゃない。まぁまぁ遊女として使えることは認めてあげる」


　遊女の世界とあらば、兄よりも妹の方が詳しいのだ。
　更には荻本屋はこの吉原遊郭で、ときと屋・京極屋に並ぶ三大老舗。
　そこで花魁を張れただけ蛍が遊女の腕前を持っていることは堕姫の目にも明らかだった。


「でもそれもここまで。あんたは今からアタシの金魚よ。美しい顔を造形できる腕はあるみたいだから、アタシの傍で一番美しい金魚になりなさい」


　聞き慣れた金魚の名に、ぴたりと蛍の口が閉じる。
　その名で遊女を模すのは、同じ遊女である者達だけだ。
　自分達の醜い生き様を、せめて慰めるだけの為に。


（堕姫は…本当に、遊女をやってきたんだ）


　遊び半分に遊郭に入り浸っていた訳ではない。
　この世界で本気で生きていなければ、そんな呼び名は出てこない。
　座り込んだまま堕姫を見上げていれば、返答のない蛍に見下ろす視線が冷たさを増す。


「わかったら返事！」

「は、はいっ」


　思わずびしりと背筋が通る。
　思いもかけない出会いと着地だったが、蛍にとっては望んだ結果でもあった。
　天元が捜していた悪鬼は、明らかにこの上弦の陸達だろう。
　彼らの傍にいれば、消息を絶ったまきお達の行方もわかるかもしれない。


（杏は…よし）


　出てこないようにと心で制せば、足元の影はぴくりとも動かない。
　血の付いた頬を片手で拭うと、蛍は恐る恐るとその場に立ち上がった。
　高下駄を履いている堕姫の方が上背はある。
　煽るように冷たく見下ろす視線を受けて、蛍もまたくんと顎を上げた。
　部屋の隅に転がる、過去の男となった遺体は視界から外し、今見るべきものを捉える為に。

　同じ鬼でありながら、同じ金魚の世界を知っていながら、それでも彼らは同胞ではない。
　上弦の名を背負う、数多の命を喰らってきた者達。
　切っても切り離せないからこそ、向き合う他ならない──蛍にとっての壁だ。