第37章 遊郭へ
己の痣を掻き毟っていた指が、ぞり、と蛍の頬を擦る。
撫でると言うには容赦のない力で、柔い肌にあかぎれの痕を易々と削り付けた。
一瞬、花魁を強いられた女に理解のあるような言動を見せた妓夫太郎だったが、その感情の灯らない目は鬼そのものだ。
蛍はごくりと息を呑むと、ゆっくりと暗い瞳を鮮やかな緋色へと変えていった。
初めて出会った初詣の時、妹である堕姫は最後まで蛍に友好的ではなかったが、妓夫太郎は違う。
新米鬼である蛍に忠告として助言をし、行事を楽しみたい妹の為に童磨に暴れてくれるなと言った鬼だ。
他者の声を聞く耳と、傾けられるだけの口は持っているはず。
「…お前はぁ」
縦に割れた鮮やかな緋色の目。
天女のように美しかった顔立ちは全くの別物へと変わる。
先程の造形美に比べれば見劣りするが、花魁化粧の効果もあってか見栄えするだけのものはある。
その派手な化粧の下にある蛍の素顔を、妓夫太郎は初見で見抜いた。
「何? お兄ちゃん、そいつが誰か知ってるのっ?」
「お前は見覚えねぇのかよぉ。元旦に御参りに行きたいってぇ言った神社で出会っただろぉ。童磨と一緒に」
「童磨?…あっ」
そこでようやく合点がいったのか。後ろから妓夫太郎の背中に張り付いて覗き込んできた堕姫もはっと目を瞬いた。
「あの時の…っまだ死んでなかったの?」
それも束の間、冷たい視線は変わらず。ぎゅっと細い腕を妓夫太郎の頸に回すと警戒するように口を尖らせる。
「何しに此処へ来たのよ。縄張り探し? 遊郭(ここ)は全部アタシ達の餌場なのよ、あんたはお呼びじゃないわ」
「お前名前は、確かぁ…なんて言ったっけな」
「お兄ちゃんっ?」
「…彩千代蛍」
「ああそうだ、そんな名前だったっけかぁ」
「なんでそんな奴の名前なんか訊くのよっ」
「…逆になんでお前は憶えてねぇんだ?」
「いちいち憶えてないわよ、こんな弱い鬼の名前なんて」
振り返った妓夫太郎がしげしげと堕姫を見る。
さも当然のように頬を膨らませる堕姫に、何か思い起こすことがあるのか。妓夫太郎の目はふと狭い天井を見上げた。
「お兄ちゃん?」