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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第37章 遊郭へ



 今宵も荻本屋が幕を開けてから、一息つけた試しがない。
 数多の男の欲に満ちた目に晒され続けながら、笑顔を絶やさず、ぎらぎらと宿した男達の欲望を淡く抑えて処理していく。

 今度わかめ酒をする時は、男が飲み干す前に潰れてしまう程強い酒にしよう。
 そんなことを頭の片隅で考えながら、蛍は酒の滲んだ帯をしゅるりと解いた。

 客は待ってはくれない。
 気前の良いことや優しいことを口にしていても、結局は自分の欲を吐き出す為に此処に来るのだから。


「姐さん、手拭い」

「ありがとうキクちゃん」

「柚霧姐さん。召し物の他に、取り換えるものはいる? 飾り簪も」

「大丈夫。ハルちゃんもありがとう」


 そっと片手で銀の櫛に触れて、笑顔で頸を横に振る。
 何かと気遣い働いてくれる二人の好意はありがたいことだが、飾り簪は必要ない。

 たった一つ。
 譲れないそれが在る限り、色欲の底でも見失わずにいられるのだ。


「さぁさ、二人はもう行って。準備は一人でできるから」

「でも…」

「姐さんの着付けなら、あたい達も」

「お部屋を綺麗にしてくれたでしょう? それで十分。お客様は急かしているようだし。呼び鈴を鳴らしたらお通しして」

「…はぁい」


 何枚にも重ねた着物は、月房屋の遊女をしていた時と違い分厚く、重い。
 脱がし易さに重点を置いた薄っぺらなあの朱色の着流しとは違うが、それでも用途は同じだ。

 蛍は柔い笑顔で二人の背を押し、色に染まる部屋からやんわりと追い出した。


『姐さんのあの櫛、すごく綺麗だね』

『いっつも付けてるよね。特別なのかな』


 ひそひそと興味津々に言葉を交わす小さな少女達。
 聞こえないフリをして、手早く着物の襟をきちりと合わせる。
 それでも大切なものに目を止められることに悪い気はしない。

 同じ飾りばかり身に付けていれば、我を出す客が自分のものをと贈り物をしてくることもある。
 良い品を手に入れられれば小遣い稼ぎになるだろう。
 その時は、二人に甘い菓子でも買ってあげようか。




















「──っ」


 そんな潔さで構えた矢先。
 新たな客を迎え入れた蛍は、唐突に言葉を失った。

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