第36章 鬼喰い
「え?」
予想外のことと、一呼吸つくよりも速い行動に、受け身すら取れなかった。
疑問符を上げたと同時に、強く腕を引いた蛍へと引っ張られる。
「ッ!?」
蛍へと真正面からぶつかる形に村田が目を瞑れば、予想した衝撃はこない。
右足を軸に回転した蛍の背に流されて、迎えられたのは柔らかなシャボンのようなもの。
目を明ければ、煌めく鱗に包まれた朔ノ夜の鰭に顔を埋めていた。
「えっ!?」
「ギャ…!」
二度目の疑問符を驚きに変える。
それと同時に後方で上がったのは、潰れたような悲鳴。
慌てて身を起こして振り返れば、既に全ては終わっていた。
手を下したであろう、蛍の目の前で身を崩している悪鬼が一体。
全て滅したと思っていたが、まだ隠れていたのか。
「やっぱり。本体は最後まで隠していたか」
「ナ…んデ」
「鬼はひとえに臆病者。自分が優位でなくなると途端に身を隠す。それと同じに貪欲だから、最後まで姑息な手段を取ろうとする」
蛍の言い分からして、隙を見て奇襲しようとしていたのか。
血の付いた蛍の鋭い刃のような爪は、揃えて五本。全て返り討ちにした鬼の胸を貫通していた。
それと同時に背後から鬼の頸を貫いていたのは、細いノコギリのような形状をした黒い影。
ぎりぎりまで見開いた悪鬼の目が元を辿れば、それはあの巨大な獣の尾へと繋がっていた。
「新手の私に正面から本体で向かおうとしないお前は、典型的な悪鬼そのものだ」
震える悪鬼の口は、濁った痰のような血をごぽりと吐いた。
震える四肢から伝わってくる。
ぼろりと、指先から崩れていく細胞が訴えてくる。
これは再生不可避の崩壊だ。
「今まで喰らった人の命に詫びながら死ね」
冷たく言い放つ蛍に、突き付けられる"死"。
日輪刀に斬られた訳ではない。
始祖である無惨に命を潰された訳でもない。
それでもこの奇妙な黒い異端の塊は、己の命を喰らっていく。
「そ、ゥか」
ごぽりと二度目の血の痰を吐く。
喉を詰まらせながら、悪鬼は目の前の狐面を凝視した。
その奇妙な黒い狐面ばかりに目がいってしまっていた。
更に奇襲をかけられて動揺してしまった。