第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
初めて目を奪われたのは、鬼殺隊本部の山の中で見上げたあの日の夜。
闇の中を駆け上がる、炎の虎。
力強く宙を蹴り上げ、飛ぶように駆け踊る姿だった。
呼吸法というものがどんなものなのか。全てを理解するには程遠いただの鬼だった自分が、素直に覚えた感情だ。
天を仰ぎ、駆け抜けた炎虎が星屑のように飛び散り空を明るく照らす。その様が、ただただ綺麗で。
自然と口をついて出た言葉は、飾り気のない己の本心だった。
だから望んだのだ。
炎の呼吸を纏う、彼の継子を。
「…ッ」
ぬかるんだ地面を恐る恐ると進む。
自然と伸びた手は、指先が震えていた。
視線の先にある獣は、影のように揺らいでいる。
掴もうとしても空(くう)に消えてしまいそうな、不安定な存在に見えた。
(──ぃゃ)
ひゅくりと喉が震える。
あの日、掴もうとして掴めなかった。
取り零してしまった命の欠片を見つけた気がして。
(いや、だ)
もう二度と見失いたくなどない。離したくなどない。
その感情に突き動かされるように、静かに揺らぐ影の獣へと歩み寄っていた。
息遣いも聴こえそうな程、傍に歩み寄る。
軽く腕を上げれば触れてしまいそうな距離だ。
視界いっぱいに広がる影の塊は巨大だった。
初めて姿を現した朔ノ夜よりも、遥かに勝る巨躯。
それでも恐怖は微塵もなく、突き動かされる感情のままに指先を伸ばした。
震える指が、獣の鼻先で止まる。
触れては消えてしまわないか。
ただの幻覚だったと気付いてしまわないか。
そんな僅かな恐怖に止まる指先に、はくりと零れる息を噛み締めた。
「あ。」
転がるような些細な吐息を一つ。
零したのは息を呑んで見ていたアオイだった。
じっと目の前の蛍を見ていた獣が、寄り添うような仕草で顔を前に差し出したのだ。
柔い動作で、蛍の指先に自身の鼻先で触れる。
あまりにも自然なその行為に、緊張感を持って見ていた義勇でさえも反応できなかった。