第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「君が俺の与えるものに望む反応をくれる度に、愛おしさを覚える。俺の手で染まりゆく君に一等、愛おしさを感じるんだ」
胸の間から覗き見るように顔を寄せる。
こつりと額を重ね合わせて、杏寿郎は幸福そうに頬を緩めた。
「確かに、新鮮味という意味では薄れるかもしれない。だがそれは別の形にとなって俺に感じさせてくれるものがある」
「…別の形、って…?」
「うむ…なんと言うべきか。安堵感、にも似ているな。ほっとする。俺の知っている、俺だけが知っている君の姿を見ると。同時にここのところがあたたかい想いでいっぱいになる。今までの君との軌跡を感じ取れるようで。俺はこの女性(ひと)と沢山、たくさん歩んできたんだなぁと、胸がいっぱいになるんだ」
己の胸板に片手を当てて、噛み締めるように杏寿郎は笑った。
「それは麗人を目にして感じるときめきや、心根に触れる言葉を貰えた時に感じる感嘆とは違う。長い間、ひとつひとつ、色んなものを見て、感じて、学んで、育ててきた俺と蛍とだから感じられることだ。一時の感情では得られない」
だからこそこの感情に名を付けることも難しいのだと。そうまた困ったように笑って、杏寿郎はそっと顔を離した。
近くにいると息遣いや鼓動は感じられても、感情を宿す蛍の顔は見えない。
少し離れてようやく拝めるその表情を、その数歩の余白を開けた距離を、感慨に浸るように見つめて。
「歩幅は違えど、どんなことがあっても隣にいてくれた。蛍とだから得られる心なんだ」
だからこそ溢れ出る愛おしさは留まることを知らない。
その感情に任せるままに、優しく唇を触れ合わせた。