第31章 煉獄とゐふ者
──ぱちゃり
「蛍、顔をこちらに」
「うん…うむっ」
「こら逃げるな」
「に、にげてな…れもはずかしンむッ」
「しっかり拭かないと風邪をひくだろう」
「だいじょムッ」
跳ねる水音に混じる辿々しい主張。
ごしごしと遠慮なく己の羽織で拭いていく杏寿郎の手に揉みくちゃにされているのは、近くの井戸水で体の樹脂を洗い流した蛍だった。
甲斐甲斐しく世話されているこの状況が恥ずかしいのだと逃げ腰の蛍を、杏寿郎は決して離さなかった。
「夜明けも近い。時間はないんだ」
そう告げれば、小さな抵抗も大人しく消える。
小さな抵抗は蛍の心持ちだけではない。
その体も実年齢より幼い姿に変わっていた。
吸血木である人々はまだ完全に人間に戻ってはいない。
故に町中は空き家ばかりで、人がいない所から勝手に衣服やタオルを拝借するのを杏寿郎は躊躇った。
そうであれば風呂の一つも借りられない。
近場の井戸水で仕方なく蛍と巽の樹脂を洗い流すに至った。
体の水分を取ると同時にその姿を隠す為に、羽織一つで事足りるよう蛍は姿を幼いものへと変えさせていたのだ。
それでも幼い少年の姿でいさせたのは、鼻息の荒い一反木綿が傍にいる為だ。
「わらひよりたつみさんのほうが…っ」
「そうだな。だから救援を呼んだ。衣類を用意した隊士達がそのうち駆け付けるだろう」
「これを着ていれば防寒にもなります。応援の人達が来るまでじっとしていてください」
「あ、ああ…悪いな」
同じく井戸水で体を冷やした巽は、人間である分蛍よりも気を付けなければならない。
真っ青な顔で震えていたが、鬼太郎が巨大化させた霊毛ちゃんちゃんこで包めばやがて体の震えも治まった。
「先程も言った通り、巽青年にはこの弁当を預ける。駆け付けた隊士達に振舞ってくれ」
「はい。彩千代は…」
「蛍は連れていく。この状況なら俺の傍に置いておいた方がいい」
座り込んだまま心配そうに見上げる巽に、笑顔でさらりと杏寿郎が応える。
(そりゃ蛍の為ってより自分の為だろーよ)
そこに内心突っ込むだけで鼠男は固く口を閉じた。
ああ言えばこう返されるのは目に見えている。