第25章 灰色万華鏡✔
落下速度は、己がいた世界と同じだ。
この速度で夜空──と言うべきか。そこに叩き付けられてしまえば無傷ではいられない。
そんなことを考える暇もなかった。
「ぅぁあぁあ"…ッ!」
頭の中が割れるように痛い。
びきびきと額に血管を浮かせて、杏寿郎は頭を抱えた。
罅割れた溝の隙間から、何かが逆流してくるかのようだ。
脳内にぶちまけられる映像は、全てが一人の女性だった。
はにかむ顔。憤怒する顔。
泣き顔。照れ顔。焦り顔。
驚く。哀しむ。喜ぶ。顔。
どれもが知らない、鮮明な記憶として杏寿郎の脳裏に流れ込んでくる。
あんなにも朧気だった〝君〟の顔だ。
『杏寿郎』
聞こえないはずの声が、聴こえた。
知らないはずの音は、愛おしかった。
穏やかに唇の端と端を緩めて。
縦に割れた緋色の瞳を細めて。
僅かに頬を染め上げて、しあわせそうに笑う。
その、彼女は。
「──ッ」
びきりと、首筋の太い血管が震えた。
シィ、と吐き出した呼吸が鋭さを持って空気を断つ。
──ゴゥッ!!
何処が地かもわからない夜空へと落下する中で、頭から落ちる杏寿郎の体を炎が覆う。
ドォン!と激しい衝突がその場に響き渡り、炎は巨大な火柱を上げた。
ひゅおりと白い煙が立ち上る。
その中心に立っていたのは、片手に日輪刀を、もう片手で己の顔を覆う杏寿郎だった。
怪我は一つも負っていない。
渾身の力で振るった炎の呼吸が、落下速度を相殺した結果だった。
「ふーー…」
深い深い呼吸を繋ぎながら、ゆっくりと顔を覆っていた手を離す。
限界まで見開いた双眸は、夜空のような地面を見下ろしながら全く別のものを見ていた。
知らないはずがない。
無関係なはすがない。
己の生き方そのものを、変えたのだから。
塞き止めていた蛇口を一気に捻り開けたように、記憶は杏寿郎の脳裏を満たした。
捜し求めていたものは、
「蛍……!」
ただひとり、愛した鬼だ。