第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
「ありがとう。柚霧」
吸い込まれそうな不思議な魅力のある闇夜の瞳を見つめて、額に触れるだけの口付けを落とす。
そのまま額を重ねて、腕の中の存在を慈しんだ。
金魚のようでありながら、冷たく鱗で守られた体ではない。
柔らかくあたたかな温もりは、命を宿した人そのものだ。
「っ…はい…」
語尾を切なげに上げる声も。
隙間なく肌を合わせてくる抱擁も。
目の端に映えて入り込む、朱色の鰭のような崩れた着物も。
微かな震えでしゃりんと奏でる、ビラ簪の音色さえも。
柚霧を成すものすべてが、愛おしくて。
「だから今度は、俺に君の心を守らせてくれないか」
どうか消えてくれるなと、願った。
蛍と柚霧を別の人格でなど見ていない。
どちらも杏寿郎にとっては等しく愛しい存在だ。
しかし一夜だけでもと望む柚霧の姿は、本当に今宵だけで消えてしまいそうな気がした。
失くしたくない。
守らなければと思った。
「どうすれば守れるか術はわからないままだが…傍にいたいんだ。柚霧の傍に」
「それだけでもう、十分です」
「っしかし」
「綺麗事じゃないです。言い訳でも、建前でもない。私の本音です」
大きく開く杏寿郎の唇に、ぴたりと細い指が触れる。
強く何かを言われた訳でもないのに、抗えなかった。
声を静める杏寿郎に、向ける柚霧の笑みは哀愁を漂わせてはいない。
「自分の知らない世界を知れば、大なり小なり感化はされます。意識的なものであっても、無自覚なものであっても。変わらずにいることなんて不可能です。…でも杏寿郎さんのその心は、何も変わっていない。私の生き方を知っても、想いは一つも揺らがなかった。それは、杏寿郎さんが思っているよりずっと凄いことなんですよ」
「君を嫌う理由などどこにもなかっただろう? ならば当然だ。想いを変える必要がどこにある」
「…そう、ですね」
何を可笑しなことを、とでも言いたげに頸を傾げる杏寿郎には、一瞬の迷いもない。
その姿に目を細めながら、柚霧は噛み締めるように頷いた。
根本の想いは揺らぐことなく、柚霧をも受け入れ愛そうとしてくれている。
その姿勢だけで心は満たされてしまうのだ。