第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
「杏寿郎さんが謝る理由なんて一つもありません。私が恨んでいるのはその男達だけですから。他の罪の無い人々は、無惨の手から守るべきだと思っています」
「だとしても、だ」
無意識に柚霧を抱く腕に力が入る。
(だから千寿郎は、人間を辞めさせた者だと)
同じ人間に人間を辞めさせられる。
身勝手な力により命を潰されてしまった柚霧に、男達へ報復をするなと言う方が無理があると思ってしまった。
何事に対しても正義感や正攻法な態度を貫く杏寿郎だったが、不合理なことが世に存在することもまた理解している。
身近な存在で言えば父がそうだ。
知っているから、安易に否定などできないと思った。
そして松風に告げられたように、搾取される側だった柚霧の世界を知らないからこそ、肯定することも難しいと思った。
どう触れていいのか。
柚霧を想えば想う程、重く重く沈む心は出口を見失う。
「知りたいと自ら言っておきながら、応える術を見つけられない。…不甲斐ない」
「…私は、杏寿郎さんに認めて欲しくて話した訳じゃありません」
そっと、広い背中に白い手が回る。
抱きしめているのに、抱きしめられているようにも感じる抱擁は、蛍と同じだった。
「受け入れて欲しいから、話した訳でもありません。ただ、聞いて欲しかっただけです」
すり、と小動物のような仕草で頬擦りをしてくる。
いじらしく感じるような甘え方も、蛍と同じだった。
「私の生き方を知って欲しかっただけなんです。他は何も変わらなくていい。変わらず、杏寿郎さんのままでいて欲しいんです」
「そんなことでいいのか?」
「それが、いいんです」
見上げる柚霧に、腕の力を緩めれば視線が交わる。
鮮やかな緋色ではない、暗い底の見えない瞳。
「もう二度と名乗ることはないと思っていたこの名を、もう一度口にすることができました。そんな柚霧(わたし)を、杏寿郎さんの瞳の中に映して下さいました。それだけで、もう十分なんです」
「…柚霧…」
「…初めてなんです。柚霧と呼ばれることが、嬉しいと感じたのは」
赤い口元の紅が優しい弧を描く。