第34章 キューピッドは語る Side:YouⅡ <豊臣秀吉>
着物の上から腕を掴まれても、私はすり抜けようとしたその格好のまま…顔を向けることが出来ない。
「何…?は、離して…」
「離したら、逃げるだろ。せっかく見つけられたのに、また逃げられたら困る」
さっき誰かが通って行ったように見えたのは、秀吉さんだったのかな。そういえば、一瞬だけ緑色の着物が見えたような気もしてきた。
その息遣いが少し荒いのは、普段走るなと口を酸っぱくして言う秀吉さんが、私を探して走り回ってくれた事を物語ってるみたい。
そんなことに気が付いた私の心は、都合が良く喜んでいる。この想いにさよならを告げるまで、もう時間なんてないのに。
「逃げない、から…」
「ほんとか?」
妙に穏やかな秀吉さんの声。
我先にと身体中を駆け回る血液の、どくどくという音。
手を振りほどいて逃げ出してしまえばいいのに、そんな事をしたら秀吉さんの気分を害してしまうかな、なんて思ってしまう自分がまだ、いて。
静かに首を縦に振って見せれば、腕をつかむ力が緩む。そのまま滑るように移動した秀吉さんの手が、私の手をそっと握った。
「…冷たいな」
「大丈夫、だよ」
お願い、もう離して。
その手に縋りたくなってしまう。
優しさに甘えたくなってしまう。
「その辺の部屋に入ろう。話がある」
「ほんとに、大丈夫だから」
「…さとみ」
「話も…ここで、いいでしょ?」
今の私に見えているのは、誰もいない廊下と、自分の右半身。
けれどその視界が唐突にぐるりと回った。力強く引かれた手に抗えず、体が否応なく反転する。
「さとみ」
「あ……」
秀吉さんの胸に頬が当たって、背中と頭に大きな温かい手が触れてる。今私の視界いっぱいに広がるのは、いつも見てた大好きな人の着物の色。
自分のものとは違う鼓動が耳に聞こえてきて、幸せな暖かさが全身を包んだ。