第32章 キューピッドは語る Side:H <豊臣秀吉>
昨日の残暑で油断していた体が、朝方のひんやりとした空気に震える。
手早く身支度を整えた俺は、二人分の朝食を手に三成の部屋を訪れた。襖の外から声を掛ければ、普段返ってこない返事が返ってくるばかりか、三成が出迎えてくれる。
「おはようございます、秀吉様」
「おはよう、三成。昨日はちゃんと寝たようだな?」
「ええ、眠りました。おかげで疲れも取れたような気が致します」
「そうか、良かったな」
確かに、三成の顔は昨日と比べると血色が良くなっている。俺をこうして出迎えるってことは、仕事に没頭していたわけでもなさそうだしな。
そもそもこいつの場合は、寝食を無理に我慢してるわけじゃなくて、集中してたら朝になってた、ってのが厄介だよな。そばにいる俺が様子を見ていてやらねえと、いつぶっ倒れるか分かったもんじゃない。
政宗達は、俺が世話を焼きすぎるせいで三成の生活力の無さに拍車がかかってるって言うが、放っておくって言うのも無理な話だ。
「三成、寝癖がついてるぞ。梳いておけよ」
「え…あ、ほんとだ…」
三成の髪が、ぴょんぴょんとはねているのに気づいて指摘してやる。手でそこを確かめ、三成が櫛を手に寝癖と格闘している横で、俺は持っていた朝食を下ろす。
ついでに茶の用意もして、茶葉の香ばしい香りが部屋を満たし、湯呑から湯気が立ちのぼる頃。
「すみません、お待たせをいたしました」
「まだはねてるが…ま、先に食うか」
「はい、いただきます」
しばらくの間、俺達がそれぞれ食事を進める箸の音だけが静かな部屋に響く。うん、今日も美味い。
ああ、そうだ。
「三成、仕事は午前中で終わりそうか?」
「はい、大丈夫だと思います」
「そうか。じゃあ、昼食を一緒にとるから御殿にいろよ?さとみと家康も来る」
「かしこまりました。御二方がお越しなら、楽しい食事になりそうですね」
食事に関心のない三成も、さとみ達が来るとなれば話は別らしい。無邪気に笑うその様子は見ていて微笑ましいが、俺の心はどこか晴れない。
家康の横で笑うあいつの顔を、俺は笑って見ていられるだろうか。