第31章 キューピッドは語る Side:M <豊臣秀吉>
その場の冷え切った空気を変えようとしたのか、俯いていたさとみが軽い調子で家康に声をかけた。
「ねえ、家康。結局何の用だったの?」
「…別に、用なんてない」
「えっ?」
笑顔で口を開けたまま、さとみが固まった。それはそうだ、呼び出されて来たというのに、用はないと切り捨てられては誰でもそうなる。家康、さすがにそれは苦しいぞ。
「何か用だったんでしょ?だって…」
「ない、って言ってるでしょ。俺仕事があるんで。失礼します」
「お、おい…」
意味が分からずにぽかんと立ち尽くす三人を尻目に、家康がいつも以上の早足でその場を去った。仕方ない、追いかけるか。
俺はそのまま木々の合間を移動して、庭の端までたどり着いた。三人が顔を見合わせている様子を確認してから、こっそりとその場を去る。
家康の後を追って城の外へ出れば、すでに目に映る景色は橙に染まり、一日の終わりを告げに来ている。
城門を出た所で、家康が俺を待っていた。その不機嫌顔は普段より三割ほど増して、眉間には深い深い溝が刻まれている。
「光秀さん、あんた面白がって傍観してたでしょう」
「出て行く機会を伺っていただけだ」
「どうだか…」
俺の言葉を全く信じていない顔をして、家康が歩き出す。その背中は疲れ切っていて、少し同情してしまうな。
「分かったでしょう、あの子が絡むとああなるんです」
「そのようだな」
ぶらりぶらりと歩きながら、心から同意した。あの娘のおっちょこちょいの度合いは、俺たちが想像できる域を遙かに超越しているようだ。
家康は嫌がっていたが、こうなったらはっきりと言葉で二人に伝えてやる以外に、方法はないように思われる。
「とりあえず…今日は帰ります。明日の軍議の用意がまだ済んでいないので」
「ああ分かった。俺も、もう少し考えてみよう」
「期待しないで待ってます」
頭を下げて御殿に戻っていく家康を見送って。俺は一人城へと戻った。
色々と打ちひしがれている家康はもう休ませてやるとして。俺にはまだ諦めるつもりはない。乗りかかった船だからな。
では、あいつらの様子を見に行くとしよう。