第30章 キューピッドは語る Side:I <豊臣秀吉>
「家康ー!!」
昨日の今日だし、来ると思ってた。思ってたけど、早すぎる。まだ早朝なんだけど。
走らせようとしていた筆を諦めて、硯の上に寝かせた。そしてきっと、この前みたいに悲痛な顔をしているだろうさとみが、目の前の襖を開けるのを待つ。
「おはようっ」
「…おはよ」
けれど予想に反して、その顔は晴れ晴れと爽やかな笑顔に満ちていた。
「聞いてよっ、昨日秀吉さんに文渡せなかったの!せっかく書いた文が見つからなくて」
「この部屋に落ちてた。あれだけ力いっぱい握りしめてたくせに落としていくなんて、どんだけ馬鹿なの、あんた」
頭が痛い。昨日見たと思った悪夢は、現実だったのか。でも、それにしてはさとみがやけに嬉しそうだ。その証拠に、俺の嫌みたっぷりの言葉にも、怒る気配がない。
「ほんとだよねえ。でも、食事の約束は出来たんだよ」
なるほどね。でもこの子、秀吉さんを前にして、取り乱さずに話が出来たのか。どうでもいいけど、その「どうだ」って顔、やめて。腹立つから。
「で、いつ?場所は?」
「今日の昼食を、秀吉さんの御殿で」
「ふうん」
大体察した。この子、たぶんうろたえてただけだな。見かねた秀吉さんが誘ってくれたんだろ。
「俺がそこに無理矢理付いて行くの、少し不自然じゃない?」
「それが…連れて来いって、秀吉さんが」
「え…俺を?」
「うん」
うん、じゃないよ。何にも考えてないような顔でにこにこ笑ってるけど。想い人が他の男を連れて来いって言ってるのに、何とも思わないんだろうか。
「その代わり、三成君も呼ぶから、って」
「……」
みつなり。
みつなりって、言った?
「行きたくない」
「ええっ」
昨日想像した光景が、もう一度頭の中に蘇って来た。
にこにこ嬉しそうな秀吉さんと、その顔を見れずにどぎまぎしてるさとみ。余計な手出しをしようとして、そこら中に茶葉をまき散らしてあたふたしている三成。それに、俺。
…何、この地獄絵図。