第29章 夜が明けたら <明智光秀>
「光秀さんと来られて、良かった」
ぽろり、と。
桜の口から言葉がこぼれた。
本当に何の他意もなく、ただ思う気持ちが溢れ出た。そんな桜の言葉に、光秀の心は揺れた。
手を伸ばして肩を抱き、髪を撫でながら自分の肩に寄り掛からせれば、桜は照れながらも大人しく身を委ねてくる。
「…温かいな」
「はい」
見返りなど求めず、この娘はただ光秀を必要としてくれる。忙しければ心配し、その身を案じて怒る。ならば自分も、この愛しい娘の事を求めてもいいのだろう。
常に気を張り、足元を掬われぬよう相手の一歩先を。その生活を変えるつもりはない。
しかし、桜の横でだけは、愛しい女を護るだけの男でいてもいいだろうと思う。
「あっ、流れ星」
無邪気にその手を伸ばし、空を指さす。見ましたか?と光秀を見上げるその瞳はきらきらと輝いて。
「いや。…もっと綺麗なものに、見惚れていた」
「え?」
何のことか分からずに目を瞬かせる桜の顔を、じっと見つめる。その瞳には、愛の熱に浮かされた男が一人映るだけ。
「桜、お前は俺が見て来たどんなものよりも、綺麗だ」
「何ですか、急に…」
首筋まで真っ赤に染まっているのが、ほの暗い東屋の中でもよく見える。空いた手で桜の首筋をなぞり顎をすくって、柔らかな唇に口づけた。
「ん…」
閉じられていた睫毛が揺れて、夢を見るような表情が浮かんでいる。
「おいで」
小さな体を膝の上へ抱き上げた光秀は、苦しさを感じる程抱きすくめた。
橙色の灯りに浮かんだ東屋で、星の海の下には愛し合う男女。そこにはもう駆け引きも、意地悪も、ない。
「桜、いつも…愛しているよ」
「光秀さん…」
耳元で囁いた声に、抱き着く桜の手に力がこもった。
「私も、愛しています」
こんなに真摯に気持ちを伝えあったのは、恐らくあの時以来だろう。正直に思いを言葉にするのは、たまには悪くないものだ。