第28章 それゆけ、謙信様!*遁走編*
「気持ちいい」
馬から下りて、強張った体を伸ばしながら風に目を細めた。謙信とともに馬上で春日山への行程を進んでいた桜は今、休憩のため川岸にいる。
馬をそばの木へ繋いで、謙信が桜の元へと戻ってきた。疲れてないか、と問われて、大丈夫です、と答える。そんな何気ないやりとりがこそばゆい。
「預かっていたものを、返そう」
「そうでした…ありがとうございます」
謙信が懐から巾着袋を取り出して、桜へと渡した。袋の口を開けて中を確かめれば、自然と緩む頬。
「何が入っているのか知らんが、そんなに大事な物なのか」
「はい。頂いた物なので」
巾着の紐を引いて、桜は笑った。嬉しそうなその言葉に反応して、謙信の眉がぴくりと動く。
「誰からだ、男か」
「え…はい。信玄様と、幸村と、佐助く…ああっ!」
桜の言葉を全て聞き終わらないうちに、謙信が巾着を奪い取り、中を覗いた。彼らからの帯留め、簪、腕輪をそれぞれ食い入るように眺めてから、フン、と鼻を鳴らし、巾着を持つ腕を上げる。
「こんなもの、そこの川にでも捨ててしまえ。春日山で新しい物を俺が見繕ってやる」
「わ、やめてくださいっ!大事な、思い出、なんですっ」
言うが早いか、本当に川へ投げようとする謙信の腕に縋りついて、桜は必死に説得しながら飛び跳ねる。指先が紐にかかって何とか取り返した巾着を腕の中に抱えて、謙信から後ずさった。
「お前が俺以外の男からの贈物を手にしている姿が、たまらなく不快だ」
「じゃあ、身に着けることはしません。しまっておきますから、捨てるのは…」
「…それ以外のお前の調度品や着物は、全て俺が用意する。いいな」
「ありがとうございます…っ」
謙信にとっては最大の譲歩なのだろう。とにもかくにも捨てられずに済んだことにほっとして、桜は身体中から息を吐いた。
「謙信様、お腹すきませんか?」
巾着袋を懐の奥へとしまいこみ、桜は慌てて機嫌が悪くなってしまった謙信のそばへと寄る。
政宗の持たせてくれた包みを手に、二人で川岸に腰を下ろした。